大震災を忘れない

県医師会が福島県・いわき市に医療支援  協会、JMAT第6陣派遣で協力

左から保険医協会事務局3名、矢野会長、県医師会岩城会長、吉野先生、小熊先生、看護師2名、三谷会長(県医師会館)

 今回の東日本大震災の被災地救護のため、富山県医師会は、2011年3月19日出発の1陣から5月5日まで活動する第11陣まで切れ目なくJMATチームを福島県いわき市に派遣し巡回診療を行うこととし、協会に対し第6陣の派遣について要請がありました。これを受け協会は小熊清史歯科医師と事務局3人を派遣しました。
 

 JMAT2陣  JMAT3陣  JMAT4陣  JMAT5陣
 JMAT6陣  JMAT7陣  JMAT9陣

●2011.5.3 兒玉理事がいわき市で災害ボランティアに参加

震災関連講演会 ・声明・談話など

2012.6.13大飯原発の拙速な再稼働に反対する」矢野会長が談話
2011.11.2「3.11後の脱原発・自然エネルギー」 飯田 哲也
2011.8.22「原発事故は二重の人災 その責任を明らかにすべき」 吉井 英勝

 

シリーズ:大震災を忘れない

「震災の復興はまだまだ大変なのに、もう過去の事のような雰囲気がある。これではいけない」と定期総会で発言がありました。忘れていないよ、というメッセージを伝えるために、とやま保険医新聞では大震災関連の記事を伝え続けます。

⑮東日本大震災ボランティア体験記

 

NPO法人日本交流分析協会理事・北陸支部長
富山ユネスコ協会副会長 心理カウンセラー
飯田 國彦

災害ボランティアの活動の進化

東日本大震災ボランティア関西・淡路大震災はボランティア元年

 東日本大震災のボランティア体験を語るに当たって、若干他の大震災の状況を述べるのは、ボランティア活動が大幅に進化していることをお分かり頂くためです。ご存知のように、阪神・淡路大震災には全国から、外国からも、大勢のボランティアが来場しました。志さえあれば誰でもOKで、目の前に沢山の仕事がありました。まさにボランティア元年でした。

中越地震…コーディネーター制度の導入へ

 中越地震は被害が広範囲に亘り、ボランティアセンターと実際の現場まではかなりの距離があり、コーディネーターらによる送迎が欠かせませんでした。誰でもウェルカムの阪神淡路と違って、指示に従わない人、不平・不満を言う人にはお引き取りいただくことになりました。その後、地震で亡くなった人よりも、疎開後自殺などで亡くなった人の人数が上回り、「傾聴ボランティア」の必要性が認識されることとなりました。

能登沖地震…コーディネーター制度の定着へ

 コーディネーターの不足を補うため、2回以上のボランティア経験者がコーディネーターを兼務することになりました。ボランティアには自律が強く求められ、炊き出しのおにぎり・味噌汁・お茶を貰うこと、自衛隊が作った風呂に入ること、は禁止され、宿舎や3度の食事はボランティア自身が用意することが徹底されました。そのような状況下、「傾聴ボランティア」としても登録しましたが、時期尚早とのことで、そちらの出番はありませんでした。中越地震での体験は生かされませんでした。

東日本大震災は東京神田で遭遇

平成23年3月11日の東日本大震災は、東京神田の日本交流分析協会で遭遇しました。キャビネット・食器棚等が倒れ、パソコン、食器などの殆どが落下して、食器などは粉々になりました。その直後コンビニは水も食べ物も売り切れました。その夜はテレビを見ながら、津波跡がヒロシマ原爆の跡に似ていること、福島第一原発が既に綿菓子のようになってメルトダウンしており、最悪の場合チェルノブイリをかなり上回る放射性物質が漏出することなどを図に描いたりしながら過ごしました。 その後一週間、(交流分析)協会員の安否を尋ね、お見舞い、募金の方針などを決め、福島の全市町村へ「傾聴ボランティア」としてお手伝いする旨の手紙を送りました。

富山でボランティア登録して出番を待つ

 その後、富山へ帰り県へもボランティア登録して出番を待ちました。1回目(4月)の出動要請に即座に応じましたが、応募者多数により高齢者は後回しとなりました。
 2回目の出陣要請が来たのは8月でした(その間、味の素スタジアムなどの疎開地を訪問、個別カウンセリングも行ないました)。 陸前高田市へ泥出し瓦礫処理を中心としたボランティアに参加することになりました。

どうしてカウンセリングでなく
泥出し・瓦礫処理ボランティアなのか

 ここで心理カウンセラーなのに、何故泥出し・瓦礫処理のボランティアに参加するのかについて述べておきます。国や自治体の復旧・復興策は最大公約数的対応で、個々の被災者の求めと実施の内容に時期のずれや隙間も生じます。ボランティア活動はその隙間や時期を埋める活動です。泥出し・瓦礫処理・側溝掃除などは地道ですが、被災者のニードが高い作業であり、確実に被災者の復旧への意欲と心の癒しを支えていると考えています。

ボランティアの心得

 県庁前へ集合、ボランティア保険を確認して、参加費を払い、出発式の後、酔い止めを飲んでバス内の人となり、簡単な自己紹介の後、「ボランティア活動を行なう上での留意事項」が説明されました。その概要は次のようでした。
①現地ボランティアコーディネーターの指示に忠実に従うこと。②待ち時間があっても憤慨しない。③被災地では、被災者の気持ちを考え、質問しない。④ボランティア同士の批判はしない。活動方針などの意見を言わない。休んでいる人を見ても批判しない。⑤被災者、倒壊した家、ボランティアの集合写真などの写真撮影禁止。⑥名札、腕章、ワッペンを着ける。⑦活動は依頼された内容のみとする。ゴミは必ず持ち帰る。
 現地は「傾聴ボランティアです」「カウンセリングしかやりません」と言える状況にはありません。

なかなか消えなかった泥出しの臭い

 能登沖等の厳しいボランティア活動とはまったく違って、自費ですが、温泉宿泊・送迎バス付きのボランティア活動でした。当日は警報発令のため、陸前高田市を諦めて、大船渡市へ向かいました。翌日から3日間、早朝5時45分にホテルを出発し、被災地へ向かいました。初日は側溝の泥出しで、コンクリートの蓋を外し、除草し、泥を土嚢に詰めて、外部へ運びました。
 2日目は民家の床下の泥出し、消毒、床板の洗浄・乾燥などを行ないました。3日目は大船渡にも大雨洪水警報が発令され、その中での作業でした。事前に準備した新品のゴーグル、ゴム手袋、安全ゴム長靴は瞬く間に中まで泥んこ、水浸しになりました。困ったのはトイレで、決められた時間にバスで送迎して貰うしか方法がありませんでした。
 帰宅後、風呂へ入り着替えもしましたが、泥臭い臭いがどうしても消えませんでした。たまたま富山短大看護学科へ行って炭谷教授にそのことを話したら「鼻のうがい(洗浄)をするといいよ」言われ、そのようにしたら臭いが消えてほっとしました。文字通り臭いが鼻に付いていたのです。

福島第一原発の災害では退去遅れが最悪、一刻も早い除染と心の復興を

問題なのは、悪名高いチェルノブイリよりも福島第一原発の方が退去も除染も遅れていることです。震災後間もないメルトダウンおよび放射性物質の大量漏出を秘匿し「退去」が遅れたことです。更に「除染」が大幅に遅れ、心に問題を抱えた人が大勢居られることです。
 今後も緊急を要する除染作業、震災孤児・遺児支援、心の健康づくり等へのボランティアが欠かせません。特に人々の心を温かく支える「心の復興支援ボランティア」(傾聴ボランティア)の継続的な活動は不可欠です。兎角日が経つにつれて関心が薄れがちですが、日本交流分析協会では東北支部の指導会員を中心に「傾聴ボランティア」を続けています。これからも関心を持ち続けて、できる限りのことをさせて頂きたいと思っています。

(2014年6月15日号 とやま保険医新聞)

 

 

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            大震災を忘れない① 忘れていないよというメッセージを伝えたい
            大震災を忘れない② 宮城県・南三陸町から   
            大震災を忘れない③ 岩手県・大槌町から
            大震災を忘れない④ 福島県・浪江町から
            大震災を忘れない⑤ 福島県・南相馬から
            大震災を忘れない⑥ 福島県・郡山から
            大震災を忘れない⑦ 岩手県・陸前高田から
            大震災を忘れない⑧ 岩手県保険医協会から
            大震災を忘れない⑨ 宮城県保険医協会から
            大震災を忘れない⑩ 福島県保険医協会から
            大震災を忘れない⑪ がんばれ同窓生 奥羽大歯科学部
            大震災を忘れない⑫ がんばれ同窓生 岩手医大医学部
            大震災を忘れない⑬ 災害・救命センターから
            大震災を忘れない⑭ 南相馬へ来て1年