医療崩壊はこうすれば防げる~医療現場の過重労働解消への処方せん~
埼玉県済生会栗橋病院 本田 宏
はじめに
私は、肝臓移植をやりたいということで外科の勉強や研究を始めました。医師になって8年目の1986年には、肝臓移植をしないと助からない沖縄のある女の子に付き添って、アメリカで手術を受けるためにボストンの小児病院へ行くといった活動も行いました。そのときにアメリカは医師の数も看護師の数も日本とは全然違うなという印象をもちました。
あれから20年以上経ちましたが、日本の病院はこの当時のアメリカの水準に今でも届いていません。このことは日本の一般の方も知らないし、ほとんどの医師も知りません。大学のスタッフの数も違います。日本の大学の教授数は、東大・京大クラスでもアメリカの6分の1、それ以外だと10分の1だったりします。
医師になって20年目の1998年、当時の橋本内閣が医療制度改革をやるということが新聞に載りました。記事を読むと、将来高齢化になるから今のうちに医療費を削減しないとまずいぞということが書いてある。私はハッとしました。アメリカの病院より少ないスタッフでやっているのに、これで医療費を削減されたら大変なことになると肌で感じました。
しかし、そのことを多くの人に伝えようにもデータがありません。日本の医師は自分の仕事で忙しく、医療費や医療制度を勉強している暇がない。またそういったデータが大手のメディアに載っていませんでした。そこで、医師も勉強しなければいけないということで作られた医療制度研究会に私も参加し勉強することにしました。
厚生労働副大臣も「日本の医療費は高い」と思い込んでいた
2002年に私の意見が朝日新聞に載りました。大手メディアでは初めてのことでした。日本の医療費は高いという新聞報道をみて、そうじゃないと意見を出したところ取り上げられたのです。どんな反響が来るかと楽しみにしていましたが、電話・手紙・FAX、何もありませんでした。2004年にやはり朝日新聞に医師数増についての私の意見が載りましたが同様の結果でした。正しい情報でも伝わらない、日本人はあまりレスポンスしないということを強く感じました。
しかし、それでも講演を続けていると厚生労働副大臣に面会させていただく機会を得ました。私が日本の医療費は世界的にみてすごく低いというと、当時の副大臣の武見氏は「もっと高いのではないか」とおっしゃるのです。厚生労働副大臣が高いという認識ですから、国が医療費を増やす筈がありません。これは副大臣が悪いのではなく、副大臣室の周りにいる人たちが日本の医療費は高いと思い込ませているのだと思います。
崩壊は医療だけではない
私は医療だけを良くしようとは思っていません。医療崩壊は日本崩壊の氷山の一角だと思っています。正しい情報なしでは医療崩壊は加速の一途です。このままでは医療ばかりか日本が崩壊する、これは皆さんだって感じていることでしょう。格差社会、フリーター、ニート、自殺大国、派遣切り…、国民が不幸な状態を国が放置しているとどうなるか。歴史的には国が没落するか、戦争を始める。医療崩壊を食い止めることは、今や国民皆の社会的責任になっています。
日本の医療の視察をやめたアメリカ
イギリスはサッチャー政権時代に今の日本と同じように医療費を抑制し、医師を増やさなかったために医療が崩壊しました。それを立て直すために交代したブレア政権は医療費を上げ、医師を増やしています。しかし、一度崩壊するとなかなか戻らない。いつでもかかれて・安く・高品質という3要素のうち2つは両立しますが3つともは絶対に無理です。アクセスがよく質の高い医療にはそれなりの人手やお金が必要です。日本はそれをしてきませんでした。
その証拠としてアメリカの報告があります。クリントン大統領時代、アメリカは医療費と自己負担が高いといった医療問題解決のため、日本でいう厚生労働大臣を日本に派遣し国立がんセンターを視察しました。しかしすぐに視察することをあきらめた。その理由について「アメリカは医療費にGDPの13.5%を使っているが日本はその半分以下。しかも病院は雑魚寝、共同浴室でまるで1950年代のアメリカの水準であり、アメリカ人には耐えられない」と報告されています。この報告を聞いて当時大統領夫人のヒラリー・クリントン氏は、日本の医療従事者を「聖職者さながらの自己犠牲」と絶賛する一方で、クレイジーといったそうです。日本の医療体制はアメリカより50年遅れている。それでも日本では医療費は高すぎる、ムダが多いと未だにいわれている。こういったことを私自身も勉強して知ることとなりました。
医療費は安く、自己負担が高い日本
OECDのデータでみるとご承知の通り平均寿命は世界一、また国民1人あたり医療費は低いほうで、G7でみると1番低い。アメリカは日本の3倍の数値です。年をとれば病院に行く回数が増えますが、どれだけ日本の医療がみすぼらしいかということです。
例えば盲腸の手術をすると7日間入院して病院の収入は30万円とちょっとくらいです。アメリカはどうか。ニューヨークでは1泊2日、私立の病院で240万円。ロンドン、バンクーバー、パリ、ローマ、フランクフルト、みんな日本より高いです。また、ヨーロッパのほとんどで自己負担がないこともポイントです。
アジアでみると、香港、台北、ソウル、北京も高い。日本は一番安い医療費で、逆に高い自己負担という構図があることを知っていただきたい。自己負担があるために医療費を上げることに反対する人もいらっしゃいます。日本は安い医療費の中、物価高であり薬剤・医療機器の公定価格は世界一です。低い収入で高いものを買う、これでは日本の病院は経営的に成り立たない。
60年前に定めた標準医師数も満たしていない
日本の医師数は昔から少なかったのかというとそうではありません。1970年までは人口に占める医師数は世界平均と同じでした。しかし1982年に医師数の抑制が閣議決定されました。このときのキーワードが有名な医療費亡国論です。
世界が医療技術の進歩に伴って医師を増やしてきた一方で、日本は医学部の定員を減らしてきました。そして、医師卒後研修制度を契機に医師不足、医療崩壊が顕在化したのです。2006年のWHOの統計によれば、日本の人口あたりの医師数は世界63位。世界一の平均寿命の国が63位…、これでも国は将来医師が余るといってきました。
国が定めた標準医師数を満たしている病院の割合をみていくと、北海道・東北は5割ほどしか満たしていません。北陸・甲信越は64%、関東77%、1番高いのが近畿で87%です。つまり、国が決めた基準の最高でも87%、これをみると全国で医師が余っていないということがわかるのではないでしょうか。400床以上の大病院でも満たしてはいません。
医師不足は「偏在ではない」
では、国はこの基準をいつ決めたかというと昭和23年です。60年前に決めた基準で今の医療ができると思っているのでしょうか。そして60年前の基準でさえ満たしていないのに、国は医師が余っているというのですから、あきれてしまいます。
医師不足について国は偏在が問題だといっていますが、都道府県平均は人口10万人あたり206人。1番低いのは私が働いている埼玉県で127.6人です。東京、京都、四国の県が比較的多いですが、それでもOECD平均の260人にはどこも届いてはいません。これは偏在ではなく絶対数の不足です。
OECDのデータでは、人口あたりの医師数について日本は下から3番目です。日本より少ないのは韓国とメキシコ。もし日本が医師を増やさなければ、2020年には最下位になります。 日本は世界一の高齢化の国ですから、本来は平均以上の医師数であるべきです。しかし国は毎年3~4千人増えているとしかいっていない。十数万人不足しているということを知らないと、3~4千人“も”増えると認識してしまう。ちなみに今の増加ペースだとOECD平均に追いつくのに何年かかるかというと3~40年。だから一刻も早く手を打たなければならないのです。イギリスは1999年に医学部定員の50%増を実施しました。医学部定員増なくして、へき地医療充実はおろかガン専門医など国民の期待に応えることは不可能です。
医師の実働数計算で将来に備えるアメリカ
次に医師の労働時間について。イギリス、フランス、ドイツは20歳代の医師から週60時間未満です。日本だけ59歳まで60時間以上働いています。また、他の国は「60歳以上」でデータは終わっているが、日本は「80歳以上」まである。日本の医師数26万人の中には80歳以上の方が含まれ、その方々が週30時間働いているという統計が示されているのです。
ここで知っていただきたいのはアメリカについてです。日本より高齢化が遅く、医師数も多いアメリカは医学部の定員を3割増やそうとしています。将来の高齢化に備えるためだそうです。なぜアメリカは将来医師が足りなくなるとして増やそうとするのか。それは必要な医師数を実働数で計算していることによります。研究を専門としている医師や産休の方は診療を行っていないとして計算には含まれず、もちろん寝たきりになっている医師もカウントされません。将来の高齢化を懸念して今から医師を増やそうとしているアメリカをみて、こういう国と戦争して勝てるわけなかったと思うのです。
産科医、小児科医が話題になりますが、そこだけが不足しているわけではありません。外科医も女性は少し増えていますが、総数では減少傾向が止まりません。
テレビでスーパードクターと呼ばれる外科医が紹介されたりしますが、そういった方が治療するのは珍しい病気をもった患者さんです。多くの患者さんは私がいつもみている胃ガン、大腸ガン、乳ガン、盲腸やヘルニアといったものが多い。盲腸を放っておいて腹膜炎になると亡くなったりします。そういった病気をみる外科医がいないと地域が困ることになるのです。
安全な労働環境がないと病院から医師がいなくなる
医師になって12年になる部下の女性医師からもらった年賀状に、今年の目標として「精も根も尽き果てぬような働き方をせずとも安全な医療が提供できること」とありました。勤務医はこうやって働いているのです。彼女が中学の同窓会で銀行員になった同級生と話しをしたら、その人より給料が安かったと話していました。
私は銀行の人より給料が低くても構わないが、医師にも安全な労働環境がほしいのです。そうでないと彼女は辞めてしまうでしょう。しかし病院には人手がなくお金もない。私にはどうすることもできない。
外科学会も、この状態が続けば外科学会への新規入会者が2018年にはゼロになると訴え、この訴えはすぐ新聞に取り上げられました。医療界のステークホルダーが声をあげなければだめなのです。それなりの立場の人が正しい知識をもってみんなで声をあげなければ医療が崩壊する、国民が困ることになるのです。
勤務医は…しんどい
1.知識:まずこれをもっていなければいけない
2.技術:外科系であればなおさら必要
3.心:日本人は次に必ず心も要求する
4.説明:インフォームドコンセントということで上手な説明
5.精神性:医師がいなければ外科医であっても終末期やガン再発の方もみなければいけないとなると医師にも精神性が必要
6.ユーモア:電子カルテの画面をみてばかりではだめ、たまにはユーモアも
7.リーダー・指揮:医師はパターナリズムではだめ、リーダーであってほしい
8.指導:研修医が来ないと問題だが、来ると指導の必要がある
9.気力・体力:医師は看護師より少ないので交代勤務がとれない
10.収入:医師の生涯賃金は大企業のサラリーマン以下ということが最近わかりました、転勤をしていると退職金がほとんどつかない
11.定年なし:私の話を聞かない勤務医はちょっと収入があると贅沢をしてしまう、そして退職金をみてびっくりするからあとは死ぬまで働くというシステムに
勤務医は労働基準法無視の過重労働と一人何役もの責任を果たしています。これらをどうにかしないと勤務医が病院からいなくなってしまいます。ナイチンゲールは「犠牲のない献身こそが真の医療奉仕につながる」といっています。考えてみればそうでしょう、日本の勤務医は犠牲が前提で成り立っているのです。
医療事故報道とメディア
日本ではなぜ医療が崩壊し、医療費も医師数も削減されたのか。ひとつにメディアの報道のしかたに問題があると思います。1998年から医療事故の報道が急増しました。その後数年してようやく医師不足が報道されるようになりました。医療事故の根底には医師・看護師不足があることは間違いないが、それが同時に報道されなかったのです。そのため一般の方は「また医療事故だ」「医者が適当にやっているんじゃないか」「カルテを改ざんしてるんじゃないか」と悪いイメージが刷り込まれてしまった。このため医療事故調査委員会の検討では、医師を逮捕すれば気をつけるようになるのでないか、といった発想が出てしまう。医療事故はシステムエラーだという認識がないのです。
このことを証明するのが、ささえあい医療人権センターCOMLの相談件数の伸びです。伸びが著しい時期は医療事故報道の時期に一致します。結果的に国民の医療に対する不信感を高めてしまっている。我々医療従事者がちゃんとした情報を出さなかったことが、いかに日本の医療にとってまずかったか。私はこれを思って今活動しています。
医師増は必要最低条件
「医学部の定数を“増やせば”解決する問題ではない」という声が医師の中にもあります。しかし、私は「医学部の定数を“増やさずに”解決する問題ではない」と主張しています。現在、労働基準法の遵守さえ不可能なのですから。
確かに医師増員は医療崩壊阻止の「必要“十分”条件」ではないと思っています。しかし「必要“最低”条件」です。医師を増やしながらでなければ絶対に解決しない。このままでは超高齢化社会に間に合わないのです、医師は1年で増えないのですから。私たち自身が国民のために闘わなければ何も変わらないし、変えられないのです。