大震災を忘れない②

     南三陸町から

    被災医師の11カ月                 宮城県南三陸町   本田 剛彦

(2011年3月25日 撮影)

 

 避難した高台から診療所を見る。手前にあった自宅は跡形もない。すべての建物がなくなって、海が非常に近く感じた。

 壮絶を極めた3・11から11カ月が過ぎた。あの日の午後2時46分は診療中だった。今まで経験したことがない大きな、周期的に4、5分は続いた長い時間の揺れの中で、逃げ場のない恐怖感に押しつぶされそうになった。10数年前から30年以内に99%の確率で来ると警告されていたので、ついに宮城県沖地震が起こったと確信し、必ず津波が襲って来ると覚悟をした。    

グーグルアースより(画像取得日2011.4.6)

 波高10メートル以上の大津波が到達する7、8分前に、咄嗟の判断で着の身着のまま高台へ逃げ延びて、間一髪の時間差で運よく命拾いをした。しかし父親が58年前に創設し、2代目として28年間維持した地域医療の社会的、業務的、経済的、物質的基盤のすべてがまさに一瞬のうちに消滅した。  
 圧倒的な自然のエネルギーを目の当たりにして茫然自失し、映画の特殊撮影の一シーンか、夢を見ているのかと錯覚した。その時から平穏な日常生活が根底から覆されて、“林住期”の後半生に想定していた軌道から外れて、行き先を大きく捻じ曲げられてしまった。

被災直後は明るく振舞えた

 被災後1カ月間は突然の人生の大変換が現実とは思えず、“恨めしい”“悔しい”“悲しい”などの感情は鈍麻していた。当初は生死に絡む極限の急性ストレスに晒されて、いわゆる心的外傷後の「ハネムーン期」の昂揚感で、精神的にはむしろ張り切って明るく振舞っていた。避難所では、避難住民がパニックになったり秩序を乱したりせず、世界に称賛された日本人の良識と品性が発揮されている実際の現場を自ら体験した。

揺れ動く心

 3、4カ月頃までは大惨事後の雑用、雑務に忙殺されて、あまり深く悩まなかった。しかし次第に周囲の実情が見えてくると、 “悔しい思い” “これからどうしようという不安感” “恨めしさを誰にもぶっつけられない無力感” “失ってしまったことは戻らないと諦める” “すべての物事は必ず変転する無常観” “人知の及ばない偉大なものが存在するのかもしれない” “宗教や信仰心はこんな心境から芽生えるのだろう” などと心が揺れ動き、しゃべったり、文章を書いたりして現実を見つめていた。

表面的な言葉では慰めにならない

 半年を過ぎると、「開業医として地域医療にどう関われるか」「このまま臨床医生命が終わるのか」「復旧するべきものの大きさと自分の年齢のアンバランス」「再建復興へのモチベーションを維持できるか」などを考えて迷っていた。心の奥に沈殿していた喪失感や絶望感が少しずつ表れて来たのだろう。 “頑張れ”とか“絆”とか“心はひとつ”などの表面的な言葉で励まされても慰めにもならない、とても解決もできない当事者の葛藤だった。  
 心が落ち着き、力を与えられたのは市井の人々の無償の奉仕の恩恵を頂いたことである。一朝事あれば、今度は自分がお返しをする番だと思っている。

人間万事塞翁が馬

 最近は人間には生まれた時から運命の設計図があるのではないかと半分疑い半分信じている心境である。 この1000年に1度の大震災に遭遇したのは天命のひとつとして甘んじて受けようと悟り、「あるがまま、なるがまま」の運命に逆らわず、「人間万事塞翁が馬」をモットーにして、上手な生き様と愉快な生き甲斐を模索して、あらためて前へ進もうと心に決めている。

(2012年2月25日 とやま保険医新聞)

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