大震災を忘れない⑬

⑬災害・救命センターから

もう一度あの時を振り返りながら
これから取り組むべき課題を見つめたい

富山大学大学院医学薬学研究部 危機管理医学(救急・災害医学)
同附属病院 災害・救命センター 診療教授 若杉 雅浩

 東北・関東地方の太平洋沿岸地域に甚大な被害をもたらした東日本大震災から2年あまりが経過しました。遠く離れた富山で日々の診療に追われ、ややもすれば当時の思いを忘れてしまいそうな今、もう一度あの時を振り返りながら、これから私たちが取り組むべき課題について考えてみたいと思います。

その日の夕方5時すぎに出発

 平成23年3月11日の発災時は、富山でもユラユラとゆっくりとした大きな揺れを感じ、遠隔地での強い地震発生が予測されました。富山大学は基幹災害拠点病院であり災害初動にあたるための災害派遣医療チーム(DMAT)を要しており、事前に訓練を受けていた隊員たちは直ちに救急部医局に参集し対策室を立ち上げ、情報収集・活動準備を開始しました。厚生労働省からのDMAT派遣依頼を受け、富山県とも調整のうえ17時すぎ陸路、現地に向けて医師2名、看護師2名、調整員1名の5名で出発しました。
 一般車両の通行が規制された高速道路を他の隊員と運転を交代しながら夜通しでひた走り、翌朝6時に盛岡市の岩手医科大学に到着しました。発災翌日12日朝の時点では、現地でも内陸部では未だ沿岸部の状況は把握されておらず、被災病院支援及び現状把握を要請され大船渡市を目指すこととなりました。ここまで600㎞あまりの走行では、道路の不整など若干の地震による影響は見られましたが、それほど大きな被害が実感できていませんでした。

がれきに阻まれ被災現場に近づくことさえできず

 ところが大船渡市街に入ると状況は一変しました。沿岸部の道路はがれきで埋まり全く近づくことはできません(写真1)。幸い高台にある県立大船渡病院は大きな被害はなく、自家発電、水の備蓄により病院の患者受入態勢は保たれていました。日頃から災害訓練や対策がされていたということで大きな混乱は避けられていました。電話は通じず外部との連絡が非常に困難で、特に隣町の陸前高田市についてはTVニュース等で病院の水没が報じられているものの情報が全く入らないため、地元職員の案内で山道を抜けて陸前高田市へ向かいました。
 道中、山腹から眼下の陸前高田市内を見ると市街地は完全に破壊され、一面が泥にのみ込まれている状態でした。その市街地での救護活動を目指しましたが、がれきに阻まれ進入は不可能でした。約800名の被災者が高台の高田第一中学校の体育館へ避難していることがわかり、そこで退避させた入院患者に対応していた県立高田病院の医師と協力し、避難者のトリアージおよび救護に当たり入院継続が必要な方を大船渡病院に搬送するよう手配しました。

DMATの救命医療は行えず
その後は継続した医療支援へ

 DMATは阪神淡路大震災の教訓から、災害現場へできるだけ早期に出向いて救命医療を行うことを目的として設置されました。東日本大震災でも我々隊員は、被災した方々の現場からの救命処置を想定して現場に赴きました。しかしながら現実はがれきに阻まれ被災現場には全く近づくこともできず、御遺体が泥まみれで自衛隊員により運び出され安置されるのを見守ることしかできませんでした。その一方で避難所に着の身着のままで身を寄せている方々からは持病の常用薬を求められるものの、慢性疾患にたいしては我々の装備では全く対応することができず歯がゆい思いが募るばかりでした。

釜石市に県内十六医療機関からのべ132名を派遣

 その後、大船渡病院での診療支援活動などを終えて3月14日朝に富山へ帰院した後は、被災地からの患者受け入れと新たな救護班派遣に備えての活動を開始しました。
 富山大学附属病院での被曝医療対応についての検討を開始し、被災した透析患者の受入体制が整えられました。富山県厚生部と私を含め被災地に派遣された県内DMATのメンバーが集まり、以降の被災地への医療支援の方向性について協議しました。長期の継続した支援が出来るよう県が公的病院に要請し救護班を取りまとめて編成したうえで、岩手県釜石市に対して医療支援を行うことが決定され、3月17日から5月9日までに、富山県内16医療機関から13次にわたり、延べ百312名の医療救護スタッフを派遣することができました。私もこの間2回派遣の機会をいただき釜石市内の救護所での巡回診療にあたりました(写真2)。
 富山大学としては富山県救護班の活動に加え、東北大学病院よりの要請で3月29日から1カ月間に7班、計43名の医療チームを気仙沼市へ派遣したほか、茨城県、宮城県石巻市にて医療支援活動を行いました。

「想定外」の事態に対応する能力
そのための教育と訓練が必要

 避難所巡回診療を行う中で被災者の方々からお話を伺うことで、急性期にDMATとして我々の行った実際の活動の乖離に気づかされました。救命医療を目的として現地に赴き当初の目的は果たせず、なすすべもなく帰還した私たちでしたが、視点を変えればあの時に他にもするべきこと、できたことがあったのではないかと思いました。また同時に被災地を見てきた者として、これからのために成すべきことも見えてきたような気がしました。
 何かと「想定外」と言われる今回の東日本大震災であります。事前に様々なことを想定し対策を考え、体制を整えることはもちろん重要ですが、災害時には想定のみにとらわれず臨機応変に事態に対応する能力こそが求められます。この能力を獲得するためには日頃の教育と訓練が必要です。

エマルゴを用いたシミュレーション訓練

 私は震災以前から大学人として災害医学教育に取り組んできました。特に災害医療シミュレーション教育システムであるエマルゴを用いた災害訓練についてはスウェーデンのリンショーピング大学に留学し研究する機会もあり、これまでにも県内外の各地で病院や消防機関を対象として災害対応訓練を行ってきました。
 エマルゴとは大事故や災害への準備とマネージメントを訓練・検証をするための教育ツールです。患者や様々なスタッフと医療資源を模式したマグネットシンボルをホワイトボード上に設定した災害現場や救護所、病院救急外来等に張り付けて使用することで、各種の救急医療機関が災害時に連携して遂行する作戦―戦術的な対応をシミュレーションするためのシステムです(写真3)。実際の災害時の動きを自ら考えながらシミュレーション体験することで災害対応能力を獲得することができます。
 私も東日本大震災を含め過去の災害から学んだ貴重な経験を伝えるためにも、エマルゴを用いた訓練をはじめ災害訓練と災害医学教育のより一層の推進に努めていきたいと考えています。

四月に総合臨床教育センターを開設
災害医療の講習会にぜひ参加を

 富山県は幸いにして、これまでは大きな災害事例を経験することはほとんどなく、このため実際に自分たちが被災することへの危機感は乏しい傾向にあります。そんな我々こそシミュレーションで災害に備える必要があります。どれほどしっかりと想定された立派な災害マニュアルがあったとしても実際に動くことができなければ役に立ちません。
 東海・東南海地震、首都圏直下型地震はいつ起こっても不思議ではない状況です。富山とて例外ではありません、ぜひとも定期的に訓練を行い、各自の災害対応能力を上げていただきたいと思います。災害訓練を行いたいけれどもどうしたらよいかわからないという方には、ご連絡いただければできるだけお手伝いさせていただきたいと考えております。
 また富山大学では今年4月に富山県の援助もあり災害時の危機管理能力を有する医師を養成し、災害時に関係機関と連携を図る目的で総合臨床教育センターを開設することができました。今後はこちらでも定期的に災害医療に関する講習会の開催を予定しています。皆様にぜひご参加いただき、より安心できる富山県の災害医療環境ができることを願っています。

(2013年6月15日号 とやま保険医新聞)

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