3・11後の脱原発・自然エネルギー戦略~地域から立ち上げる「第4の革命」~
自然エネルギーは世界の流れ
飯田哲也氏を招いて講演会
富山県保険医協会と核兵器廃絶をめざす富山医師・医学者の会は11月2日、富山県民会館で「3・11後の脱原発・自然エネルギー戦略」と題した講演会を開き141人が参加しました。
講師の飯田哲也氏(環境エネルギー政策研究所所長)は、福島第1原子力発電所の事故後、ドイツ、イタリア、スイス、スウェーデンが脱原発に大きく踏み出し、アメリカやフランスなど原発を重視する国でも新たな原発が造られていないと指摘。原発事故による膨大な補償や安全性を高めるためのコストが急増する原子力発電を排除する動きが強まっており、原発は、民主主義の力と市場原理で必ず全廃されると述べました。
飯田氏は、世界では自然エネルギーが大きな産業になっているのに、日本は原発に固執し自然エネルギーを軽視してきたと批判。政治決定で効果的な政策が打ち出されれば、自然エネルギーは大きく普及できると話しました。
質疑では、参加者から「風力や太陽光は不安定なのに必要な電力が賄えるのか」「科学技術が進んでも原子力はダメという結論でいいのか」などさまざまな質問が寄せられました。飯田氏は、風力や太陽光の発電量は統計と気候予測で把握でき、需要変動も予測できる。変動分は水力・火力など他の発電で調整できる。たかが電気を作るためだけに膨大な核廃棄物を生みだす原発は廃止するしかないなどと述べました。
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主催者挨拶
飯田さん、お忙しいところ富山へおいでいただきありがとうございます。
この講演会は「富山県保険医協会」と「核兵器廃絶をめざす富山医師・医学者の会」(通称「反核医師の会」)の共催です。
「保険医協会」は1979年設立。健康保険を扱う医師・歯科医師の団体でして会員数は約1200人です。「反核医師の会」は1989年に設立されました。会員数は約70人です。肥田舜太郎先生や長崎の被爆者・山口仙二氏、元長崎市長・本島等氏、などなどいろんな方の講演会、さらに、映画「千羽鶴」や「アンゼラスの鐘」の上映会などを開催してきました。
従来は「核兵器反対」に絞って、あえて原発には触れずに活動してきました。しかしフクシマの事故を受けて、国民の命と健康を守る立場から反原発の意思表示をしました。
主催者を代表して、挨拶がわりに3つのエピソードをご紹介いたします。うち2つは富山県人として恥ずかしいものです。
最初のエピソード
9月7日の読売新聞社説をお読みになったでしょうか。原発にサヨナラではなく、脱原発にサヨナラをしましょう、という社説です。(サヨナラなんて軽いことばではなく「決別」という格調高い言葉が使われています) 原子力村のマニフェストとでもいうべき内容です。批判する立場からも必読です。この新聞社の現在を築いたのが、富山県出身の正力松太郎です。プロ野球の父、そして原子力の父とも呼ばれます。「郷土の偉人」などと呼んできたことを恥じるばかりです。
もうひとつ恥ずかしいエピソード
富山市に本社のある北陸電力のお話です。今年10月、「原子力安全信頼会議」なるものを設置しました。この会議の委員に東大教授・大橋弘忠先生が名を連ねています。「原子炉格納容器は壊れない、プルトニウムは飲んでも安全です」と主張して、たいそう有名になった方です。北陸電力はなぜこんな人選をしたのか? 富山県人として恥ずかしく思います。(付記:10月28日に初会合が開かれ、「会議は非公開とし、議事の内容はHPにて発表する」としています。)
さいごに、ちょっと誇らしいエピソード
私は魚津市に住んでいます。魚津市の山奥に虎谷(地元では「とらだん」と呼んでいます)という集落があります。1ヶ月ほどまえ、山野草を眺めたり写真を撮ったりしながら早月川を遡上しました。車がすれ違えない小さなトンネルをくぐると虎谷です。そこで「小水力発電」の工事現場に遭遇しました。全国初の市民出資による小水力発電プロジェクトとのことです。すこし自慢のタネになります。
「立山アルプス小水力発電事業」については本日の資料をご覧下さい。「エナジーグリーン株式会社」創業者で現在相談役、「おひさまエネルギーファンド株式会社」の代表取締役が飯田哲也さんです。
当日、参加いただいた方からのアンケートを集計しました。
参加者総数は 141名
アンケート回収数は 78名
アンケ―ト回収率は 55.3% でした。
参加者アンケート意見欄をご覧いただけます(PDFファイルが開きます)