人生の最終章、口から食べられなくなったとき
あなたは医療と介護に何を求めますか?
とき 6月24日(日) 開場 12:00 開会 13:00 閉会 16:30
会場 ボルファートとやま
第1部 講演 (13:00~14:30)
穏やかな最期を迎える「平穏死」のすすめ ~医療・介護が果たす役割~
講師 石飛 幸三 氏
『「平穏死」のすすめ』(講談社)著者。
1935年広島県生まれ。慶応大医学部卒。
ドイツの病院で血管外科医として約2年勤務。
東京都済生会中央病院副院長などを経て、
2005年12月から東京都世田谷区の特養
「芦花ホーム」の常勤配置医。
第2部 シンポジウム (14:45~16:30)
*氏名をクリックすると発言サマリーを見ることができます。
座長 中川 彦人 氏(新川地域在宅医療療養連携協議会会長)
高齢終末期における栄養管理をどう考えるか
公的病院医 荒幡 昌久 氏(南砺市民病院)
民間病院医 豊田 恒良 氏(光ヶ丘病院)
特養配置医 美濃 一博 氏(みのう医科歯科クリニック)
特養介護士 長谷川 久美子 氏(特別養護老人ホームあんどの里)
施設長 大﨑 雅子 氏(特別養護老人ホームあんどの里)
助言者 石飛 幸三 氏
開催報告 高齢終末期の看取りと胃ろうを考える
当日司会・副会長 前川 裕
協会は6月24日、ボルファートとやまで「高齢終末期の看取りと胃ろうを考えるフォーラム」を開催し、県内の医療・介護従事者や県民、470名が参加しました(共催:大塚製薬株式会社)。
当日司会を務めた前川副会長が報告します。
第1部の石飛先生の講演「穏やかな最期を迎える平穏死のすすめ」は、高齢者のケアを行うすべての職種に捧げる至宝の言葉でありました。胃ろう栄養をするべきかどうかに関しては、スタッフ全員で協議する。看取りが近いからといって介護放棄するのではなく、最後まで寄り添う姿勢は感動を覚え、会場では涙を流して聞き入っている聴衆者もいたと聞きます。特別養護老人ホーム「芦花ホーム」で人生を終演された方はきっと満足し旅立ちされたであろうと推測します。
関係者全員で終末期カンファレンス
第2部は「高齢終末期における栄養管理をどう考えるか」をテーマにしたシンポジウムでした。座長の中川彦人先生の挨拶と問題提起から始まりました。最初は荒幡昌久先生の「南砺市民病院における終末期医療の取り組み」であります。荒幡先生の発表はそのまま学術論文として十分通用する研究とその成果であります。終末期医療の不確実さを認めつつも個々の患者さんを全人的に理解し、ベストな方法を模索し、関係者全員で終末期カンファレンスを開き検討されているという。さすが南砺市民病院であります。
胃ろう患者も「目標ある生活」を
次の発表は慢性期病院である光ヶ丘病院の豊田恒良先生でした。慢性期病院は多くの胃ろう患者さんと付き合い、その結論として「目標ある生活」を送るために、胃ろう造設後の摂食嚥下リハビリの重要性を強調されました。また、人工栄養の適応を判断するツールとして、今年3月に発行された日本老年医学会「意思決定支援ツール」の中の「高齢者ケアと人工栄養を考える―本人・家族の選択のために」を紹介されました。病院医師のみならず、在宅医や関係者は一読すべき内容であります。
特養配置医と介護職員による看取りへの取り組み
次に特別養護老人ホームの配置医をされている美濃一博先生からの発表と、協会が実施した配置医アンケートの結果報告がありました。その内容は「とやまの石飛先生」とでもいうべき立派なものでした。先生の適切な指導があってこそ、特養での看取りが可能となったものと推測します。
4人目の発表は美濃先生が携わっておられる特別養護老人ホーム「あんどの里」の長谷川主任介護士からの特養での看取りの取り組みです。今後増加が予想される施設での看取りケアを考える上で大変役立つものでした。最後に石飛先生と「あんどの里」の大﨑施設長も加わった質疑応答があり、フォーラムは無事終了しました。
発表者と聴衆が一体となったフォーラム
4時間近い長時間の中、ほぼ全員の方が途中退席されることなく拝聴されていまして、この問題に対する関係者の意識の高さには驚きました。そのような期待に応えて、石飛先生の講演やシンポジストのみなさんの発表はいづれも臨場感に溢れており、聴衆者は熱心にノートに書き込まれる方や、発表を聞きながら肯く方が多くみられ、発表者と聴衆者の一体感がありまして、よきフォーラムでありました。
参加者の感想から
●石飛先生は死亡診断書に「老衰」と書くとのこと。私は今まで老衰を死亡の原因としてはいけないと決まっていると思っていたが、その異常さに気づかされた。 (医師)
●急性期病院で働いています。食べない人を受け入れる施設が少ないので、胃ろうが当たり前になっていてつらいです。今日のお話を多くの医師・医学生に聞いてほしい。(看護師)
●今まさに胃ろうの選択を迫られている家族の一人として参加しました。病院から説明をしっかり聞いて、79歳のおじいちゃんの意思、一番看護をしなければならないおばあちゃんのことを考えながら、旦那や子どもたち、みんなでよく話し合って決めたいと思います。(主婦)
●居宅ケアマネとしては、医療側の説得で看取ったあとになって家族が後悔したり、「先生が見捨てていった」と言われたりするのを聞くのがつらいです。先生方も立場上あまり入り込み過ぎないと思いますが、家族はやっぱり訪看やMSW、ケアマネではなくDrからの言葉を重く受け止められます。今日の先生たちのように、家族や施設の不安を取り除けるような丁寧な説明が必要かと思います。 (ケアマネジャー)
●本当に看取り期なのか、何らかの原因で食べられないだけなのか判断がつかないときは、やはり病院で検査をしていただきます。その結果看取りにならないこともあり、家族の気持ちも揺らぎ、職員たちも揺らぐことで日々悩んでいます。 (施設・看護師)
●慢性期病院では急性期病院から中心静脈栄養のまま転院してくる患者が多い。病院という立場上、何もしないという訳にはいかず安らかな看取りは難しいのが現状だと思う。当院でも経口摂取量が減った患者にしばらくお酒を提供したあと亡くなった事例があったが、まだ明確な指針はない。今後は慢性期病院での看取りが重要な位置を占めると思う。(看護師)
●終末期は一人ひとりみんな違う、という考え方にとても納得。そして医療側がその方と一緒に階段を下りるというのはまったくその通りだと思いました。そういう医師、看護師、介護士はまだまだ少ないということも感じています。(看護師)