危機的な産科の現場 私たちはあとどれだけ耐えればいいのか
富山県医師会理事 種部 恭子 氏
私は産婦人科医ですが、燃え尽きて産科をやめました。今日の本田先生の話を、3年前に聞いていればやめなかったかもしれないと思いながら本当に勇気づけられました。
お産はみなさん安全だと思われていますが、赤ちゃんが安全に生まれたその1分後に大量出血でお母さんが亡くなることもあります。その時の対応はとても一人の医師ではできません。
そして、バックアップする医師は絶えず病院の周り30分のところにいなくてはいけない状況です。私が勤務医だったとき、お風呂には袋に入れた携帯電話をもって入っていました。着信音が聞こえなかったことは言い訳になりません。1分の遅れで大量出血、そして訴えられるかもしれない状況にあったからです。
ところが、やってもやっても報われることがなく、最後には医師も助産師も看護師も足らずお互いがカバーしきれない状況の中、システムエラーともいうべき事故が起きました。そのときに一緒に働いていたスタッフは患者のご家族に殴られました。これをきっかけに私は産科をやることはこれ以上限界だと思いやめました。
今、若い産婦人科医の7~8割は女性です。私たちはあと何十年耐えればいいのか。今勤務している医師をやめさせないためにお産する医療機関を地域の大きな病院一つにまとめてやろうじゃないかということになっても、色々なことで話が進まず、悔しくてなりません。
中で分裂している時代ではないと思います。人の役に立ちたいという思いは医師みんな同じだと思います。時間がないということ、そして夢を次の世代に与えたいということを強調したいと思っています。
今日これだけの県民の方々が集まったことが嬉しい この流れを消さないよう
富山大学医学部第一外科助教(当時) 土岐 善紀 氏
大学病院の胸部外科で働いています。私たち医療者は、今までも、今も、そしてこれからも、病院に頼って来られる患者さんの期待に応えたい、その熱い気持ちは全く変わらないしこれからも変わらないと思っています。
ただ、医療現場や勤務医や病院がどういう状況に置かれているのかを言えば言うほど、逆に医師の利権や環境を守ろうとしているのではないか、医師のわがままなのではないか、そのように取られることも非常に多く、忸怩たる思いがありました。
私事ですが、昨年2月にある学会の地方会を富山で開催したときに、市民公開講座として本田先生をお呼びしました。県内のマスメディア全てに後援になっていただき、自分としては万端な準備をしたと思って当日を迎えましたが、取材に来たメディアはゼロでした。そこに私たち医療現場で働く人間と一般マスコミや県民の間に温度差を感じて非常に悔しい思いをしました。
今日は患者さんや一般の県民の方々がこれだけ集まっていただいたことに大変うれしい思いでいっぱいです。この流れをぜひ消さないようにして、情報発信していくことが私たちに課せられた使命だと思っています。