仕事も自分も『楽しむ』生き方
国立保健医療科学院 主任研究官 吉田 穂波
私は妊娠・出産・子育てのために働き方を変えてきました。だいたい3年周期で職場を変わっています。最初の3年間は聖路加国際病院で研修をし、次の三年間は博士課程に行き、ドイツ・英国留学もありましたが、その後は女性外来で働いていました。以降はボストンに3年間、そして昨年の4月から、今の母子保健の公共政策に関わるような仕事をしています。
妊娠・出産・子育てと共に変えてきた働き方
ドイツでは妊娠は大喝采
1人目は夫の留学についていったドイツで妊娠・出産をしました。私たちはついつい日本の感覚で、上司には「すみません、ご迷惑をおかけしますが」と言って謝るのかと思っていたら、同僚や上司に妊娠のことを告げると、やんややんやの大喝采・大拍手で、すごく喜んでもらえました。ですので、私の「申し訳ない」という気持ちはどこへやら、非常にポジティブな評価を得られたので、それがとても励みになりました。
ロンドンではどこの所属先もなく、「吉田先生の奥さん」、「○○ちゃんのお母さん」と言われることも初めてで、アイデンティティクライシスを感じ、もやもやした気持ちでいました。夫がこれではいけないと思ったのか、私たちのかかりつけ医の先生に交渉して、そこで週に3日研修させてもらえることになりました。そこは何でもしているところで、非常に診療の幅が広がりました。病気はもちろん人間全体を診る、患者さんだけではなく家族全員を診るような診療スタイルにすごく刺激を受けました。おかげで帰国後、女性総合外来を志すということになりました。
2人目・3人目は、宇都宮で出産しましたが、その時は外来診療で当直なしなのでありがたかったです。ただ、勤務先が非常に多忙で、すぐ復帰してくださいと言われ、産後3カ月目から復帰しました。
4人目はボストンで出産、その産後1カ月で帰国し、帰国後はパートタイムで外来だけの健診と診療をしていました。ですが私の世代は、みんなそうかと思うのですが、バリバリフルタイムの臨床医がスタンダードで、パートタイムって2軍落ちみたいな、そういったわだかまりを引きずりながらやっていました。
保育園に入れるためフルタイムに
また、東京は保育園も学童保育も非常に入りづらいのです。倍率も高く、いつもキャンセル待ちでいっぱいでパートタイムは優先順位が低かったのです。そこで国内でフルタイムの職場を探すようになり、週休2日の9時~5時の国家公務員という職につきました。今は当直なしで、非常に自分でコントロールしやすいというところがありがたいなと思っています。
お母さんって、すごい!
私自身、聖路加国際病院で産婦人科医をはじめた時に、「お母さんてすごい」と思いました。10人のうち1人か2人の割合で流産になってしまう。これは妊娠するだけでも奇跡だけど、それを継続するだけでもすごい奇跡だと思ったのです。妊娠すると、みなさんめきめきタフになっていくのを目の当たりにしていました。それから、赤ちゃんもおなかの中にいる時からすでにお母さんをいたわっているのがよくわかりました。
ハーバード大学へ
ハーバード大学への留学は、1人目、2人目を出産してどんどん肩身が狭くなった気がしたので、子どもが増えてもマイナスにならないように、自分に強み・売りを身につけたいと思い、統計や疫学を勉強しにいきました。
それまでの私は、狭い世界で暮らしていたので、人との縁をあまり大事に思っていなかったのですが、ハーバード大学では、とにかくネットワーキングが大事だと耳にタコができるぐらいすり込まれました。それがハーバードで得た非常に大事なことです。
子どもから教えてもらったこと
受援力
子どもからは、助けを頼むコツを教えてもらいました。子どもが素直に人の手を借りることから、子どもを持つマイノリティとして自らも人に力を貸してほしいと頼むことができるようになりました。被災地支援をしている時に出会った「受援力(他者に助けを求め快くサポートを受け止める力)」に通じると思います。
ただ、頼む時にお作法がありまして、引き受けてもらった、あるいは何か当直や外来で代わってもらったら大喜びします。それぐらいしか自分で返せるものがないからです。
タイム・マネジメント力
「タイム・マネジメント力」は子どもさんがいる方は定番だと思います。夫をみていても、非常にメリハリのある仕事の仕方をしていると思います。それは絶対家に帰らなければならないからです。私の場合もそうですが、17時に職場を出ないとお迎えに間に合いません。とにかくここの時間しかないと思うと、短時間に同時進行でこなす力が身につきます。 忍耐力・臨機応変力 「忍耐力」もあります。予測不可能なことをしてくる子どもたちに付き合っていかなければならないわけです。子どもって、「今、ここで」という存在なんです。ですので、何が起きようとその場で対処していく覚悟を持ちながらずっと付き合っていると、忍耐力、臨機応変力を身につけられます。
他にも、母になるプラスがあります。ドイツで妊娠・出産する際に、子どもが生まれるまでは、同僚や語学学校の友人しかいなかったので、妊婦さんのつきあいは全くありませんでした。妊娠・出産すると、地域や教会、助産師さん、社会との接点がすごく増えました。今現在も、子どものおかげで、子どもがいなかったら接点がないだろうなという人に、会えるなと思っています。
私が心がけていること
まずは自分を満たすこと
女性は自分のことを後回しにしがちではないかと思います。特に医療職だと奉仕の精神や責任感が強く、とてもまじめで頑張り屋さんですから、ついつい自分をないがしろにしてしまうと思うんです。例えば1時間あった時に、「しなければいけないこと」をこなしてから「したいこと」をするのではなく、まず自分を楽しませ、甘やかせてから「自分の役割」に取りかかる方が、前向きになれるかもしれません。まずそちらの方に、時間を優先的に配分してみてください。
本音を上手に伝える
本音を上手に伝えるというのが大事だと思います。夫と暮らし始めて、相手にうまく伝える方法をいろいろな喧嘩の集積の上に学びました。
BUTを使わないというのがポイントです。相手は批判的なニュアンスを少しでも感じると、戦闘態勢に入ったり、抵抗したりしますので、内容に入る前にとにかく大事なことだからと伝えます。極端な場合になると、「熟年離婚したくないから言うよ」っていうこともあります。「自分の一番身近にいてほしい人なんだ」「一生ずっとパートナーとしてやっていきたいから言うよ」とか。
最初に前向きなことを言うことによって、自分の主張を通すというよりは二人の共通の目標として聞き取ってもらえるということもあると思います。
YOUメッセージよりもIメッセージを使おう
「YOUメッセージよりもIメッセージ」というのも、すごく実感してます。私もともと感激屋だったので、「わーすごい」とかちょくちょくいってたんです。ですが、そのときのみんなの反応は、「またまた」とか「なんにもでないよ~」とか、最後には私旧姓小林だったので、こばちゃんと呼ばれてたんですが、「褒め殺しのこばちゃん」というあだ名までついてしまって、誰も私の感動や賞賛の言葉に反応しなくなってしまいました。
「あなたはすばらしい」というのではなく、「励まされました」「いい刺激になりました」「今後自分でも使わせてもらいます」などのように自分を主語に置き換えて言うと、相手は否定もできませんし、とっても嬉しそうなので、もっと早く気づいておけばよかったと思いました。
皆さんも感謝の気持ちを伝えるたり、助けを求めるときは、Iメッセージで、「自分はこう感じた」「こう感謝した」「こう受け取った」っていうふうに伝えると、相手の心のどこかに響くような気がします。
助けを求めることは、相手の「人助けをしたい気持ち」を満たしてあげること
1人目の子がぜんそくがすごくひどく、4ヵ月に1回入院していました。これじゃあ仕事が続けられないと思うくらい、しょっちゅう入院していたのですが、そのときに母から「どんどん人を使いなさい」と言われ、初めてヘルパーさんやシッターさんを頼むようになりました。
6、7年前ぐらいの私は人に助けを頼むのが苦手で、人の好意に甘えるなんて自分は負けだと思っていたところがありました。ですが、ヘルパーさんやシッターさんを利用してから、相手に頼めば頼むほど喜んでくれるんだな、ってその時実感したんです。ですので発想を変えて、相手の人助けをしたい気持ちを満たしてあげているんだ、頼めば頼むほど相手も嬉しいんだと、図々しく考えるようにしました。すると、それからはわりと頼みやすくなって、頼むことは別に悪いことじゃないのかなと思うようになりました。
フィードバックから学ぶ
意見衝突があった時に、これはフィードバックだと思えば少し前向きに捉えられるかなと思います。
私も以前、子どもがいて当直を断り続けたり、評価が下がったり、ちょっときついことを言われたりしました。「どうして子育て中の女性医師がこんなに優遇されるんですか」と周りの女性医師から言われたこともありました。ちょっとへこみましたが、でもそれはフィードバックと思えば、乗り越えられましたし、いつかは助けてあげることも、助けられることも、助け合う事もできるはずなのです。あるときは子育て中、あるときは介護で大変、その時々の大変さは違いますが、別の機会になればその介護で大変だった人から自分が教えてもらうこともあるでしょうし、自分が子育ての先輩として子育てを始めた人に教えてあげることもできるでしょう。
衝突があった時に、カチンとなって関係を切ってしまうのではなく、つなげていけば必ずどこかで支え合うことができます。ハーバードでネットワーキングをたたき込まれましたけど、人とのネットワークをずっと切らずに続ける。そしたらいつかは助け合えるということが自分の力になると思います。