2014.06.06  日本の進路を問う講演会 改憲派の憲法学者 小林 節氏

集団的自衛権と日本国憲法
~安倍政権の『憲法解釈の大転換』をどうみるか~

改憲派の憲法学者が熱く語る!

日時 2014年 6月6日(金) 19:15~21:15

場所 ボルファートとやま 4階 琥珀

講師 慶應義塾大学 名誉教授(憲法学)、弁護士 小林 節 氏

集団的自衛権の本質は海外派兵

 協会は6月6日(金)、「集団的自衛権と日本国憲法~安倍政権の『憲法解釈の大転換』をどうみるのか」のテーマで講演会を開催しました。 
 講師は、改憲派として知られる慶應義塾大学名誉教授で弁護士の小林節氏。当日は、一般参加者も含め90名が参加しました。
 小林氏は「憲法は国家権力を規制するものである」と憲法の本質について述べ、「集団的自衛権なしで十分に日本は守られる」と主張しました。

安倍政権の『憲法解釈の大転換』をどうみるのか
慶應義塾大学名誉教授・弁護士   小林 節

集団的自衛権と個別的自衛権

 小林・正面結論を先に言うと安倍首相は正気の沙汰ではない。そして本気だ。だから我々も本気で向かい合わなければいけない。このままでは気づいた時には、世界の警察と称して世界中で戦争しているアメリカの二軍として、日本がいつもお供をすることになる。
 戦場で3千人の兵隊が死んでも一億人の日本人からみれば誤差のうち。権力を持つ人間はそんなことを思っている。私もかつてアメリカの大学から帰ってきて自民党の勉強会に呼ばれたときは、そういう荒っぽい理屈を話していた。本当に未熟者で恐ろしいなと思う。幸いそういうことをわかる年齢になった。
 集団的自衛権は、例えばAさん、Bさん、Cさんが同盟を結んだと宣言する。「俺たちの誰にちょっかい出しても、トラブルが起きている現象をみたら、他の2人もやってきて俺たちの敵としてボコスカ殴るからな」というものである。
 つまり、日本とアメリカが集団的自衛権を行使する関係を結んだ場合、アメリカが世界のどこで戦争をしていようが、日本は無条件で飛んでいって助けるということになる。

集団的自衛権という単語はあるが定義は出てこない

 集団的自衛権や個別的自衛権の定義について、国際法の条文で定義を探そうとしても出てこない。そもそも国際法という法はなく、国連憲章などの条約と国際慣習法を源にしているものだ。国連憲章にはこれら自衛権の単語は出てくるが、定義は出てこない。定義は国際社会の歴史の中から、我々が抽出するしかないのである。
 個別的自衛権は、その国が他国から襲われたら自国単独で抵抗することを正しいといえる権利。一方、集団的自衛権は、同盟国のどの一国が戦争に巻き込まれても、他の同盟国がその戦争に一緒に巻き込まれて守り合うことを正当化する権利である。

「日本に害があるときだけ」という理屈が通るのか

 これについて、どうやって現行憲法下で可能なのかと批判すると、安倍首相は「そんな大風呂敷は広げない。同盟国のトラブルを見過ごしたら、我が国の安全保障に重大な影響を及ぼす場合にだけ集団的自衛権を行使する。そんな心配しないでください」と言っている。これはおかしい。
 あとで詳しくふれるが、現在の日米安保条約では、日本が襲われたらアメリカは無条件で日本に来てくれるが、逆はそうではない。これからは日本も助けに行きますよ、と宣言しながら「放っておくと自分に害があるときだけ行く」という。そんな理屈が世界で通るわけがなく、国内世論向けのごまかしにすぎない。
 集団的自衛権の本質は、他国支援のための海外派兵であることを押さえていただきたい。

第9条を読み解くルール

 日本国憲法9条の条文を読み解く基本ルールとして、まずは書いてある言葉の国語的分析をすること。もう一つはどういった歴史的背景で作られたかを認識することが決定的に重要である。
 今の憲法は第二次世界大戦に負け、明治憲法に代わって詫び状文として作られたという歴史的枠がある。石原慎太郎氏はそれを屈辱的と言うが、戦争に負けるとはそういうことであって、それを悔しいと思うかどうかだ。私は悔しいとは思わない。また、若い頃は不都合だと思っていたが、今は負けた結果いい憲法をもらったじゃないか、それを上手く使えばいいじゃないかくらいの認識をしている。
 私の意見が変わったことに怒る人がいるが、私は社会科学者なので、日々学習し検討していく過程で学説が変わることは自然なことと思っている。
 9条には1項と2項があるが、1項で戦争放棄、戦争を捨てた。しかし、戦争放棄を決めたら戦争がなくなるのか? 結論を言えばなくならない。

「戦争放棄」と決めるだけでは戦争はなくならない

 第一次世界大戦の後、日本を含む世界の大国がパリに集まって1928年にパリ不戦条約というものが結ばれた。それまでの戦争で死ぬのは兵隊だけだったが、第一次世界大戦ではダイナマイトや戦車など大量破壊兵器が使われ、多くの一般市民が犠牲となった。その反省のもと条文の文言には、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄するとある。これは日本国憲法九条と同じ。にもかかわらず、その後も各国は戦争を重ね、第二次世界大戦に突入していった。
 パリ不戦条約があるにも関わらず戦争を続けてきた理由は何か。それは戦争を放棄したが、あらゆる戦争を放棄したのではなく、侵略戦争のみ放棄した。すなわち自衛戦争は放棄しないという国際慣習法を確立したために、その後の戦争はすべて「自衛戦争」または「自衛戦争への協力」を口実として行われた。
 これらのことから日本国憲法9条1項は、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄することを謳っているが、これは侵略戦争を放棄するが自衛戦争は放棄していないと理解するのが自然である。

戦力不保持と自衛隊

 9条の2項では、陸海空軍その他の戦力、つまり軍隊と名のつく組織は持てない、交戦権も持てないとなっている。これでどうやって自衛の戦争をするのか? 

自衛隊は専守防衛だから認められている

 1950年に朝鮮戦争が勃発。これは建前はともかくとしてアメリカとソ連が世界の陣取り合戦をする中での戦争だった。そんな情勢のなかで日本の防衛をどうするかという議論、流れの中で自衛隊が生まれた。
 あらためて自衛隊とは何か。自衛隊は侵略戦争の道具ではなく、万一どこかの国が日本に攻め込んできたときに、国内にいて専守防衛する組織だ。だから交戦権の典型例である公海上の船の臨検、拿捕する必要はないし、軍隊を名乗る必要はない。自衛隊という何だがわからない名前でいいのではないかと思う。

海外派兵禁止は歴代の自民党政府も守ってきた

 法律のプロ的には、9条の1項で自衛戦争は放棄していないが、侵略戦争は放棄している。2項で外国へ出て行くときに必要な軍隊という名前を持てない。アーミーとセルフ・ディフェンス・フォースは決定的に違っていて、自衛隊が外に出て行くことを予定していない。そういう憲法上の制限がある。だから海外派兵は禁止なのである。
 これは日本が、安倍首相の先輩である歴代の自民党政府も含めてずっと守ってきた原則だ。それを突然、海外派兵しなければならない、集団的自衛権が必要と言い出す。どうしても必要なら憲法改正を提案してほしい。自称「護憲的」改憲派なので内容と動機によっては賛成する。しかし今の文脈であれば、伊藤真弁護士と大反対キャンペーンして、絶対潰さなければならないと思っている。

国連憲章と日本の憲法

 小林会場・右からところで国連憲章51条に国連加盟国には個別的自衛権と集団的自衛権があると書かれており、国際法で持っている権限を憲法で使えないのはおかしいという話を聞く。これも法律の専門家からすれば笑止千万な話だ。
 条約というのは世界の200くらいある独立主権国家同士のいわば契約書である。当たり前のことだが国際社会には統一立法府はなく、あるテーマに同意したいくつかの国がまとまって一つの契約に署名するだけだ。この場合、条約締約国は条約上の権利義務を、自国の法制度に従って行動する。どういうことかというと、仮に自衛隊が国連の仕事で海外に行くことがある場合、当然、銃の引き金を引くことは許されず、荷物運搬や土木作業ということになる。日本の自衛隊である以上、いくら国連のワッペンを制服に貼っていても、あくまで行動の法的根拠は日本の自衛隊法である。日本の国家予算で動いているのであり、世界中どこに行こうが自衛隊は日本の機関である。
 日本の機関は日本の法律に根拠がなければ動けない。法律の上位にある憲法に制限があればそれには逆らえない。これはどこの国も同じである。

日米安保が片務条約だからといって劣等感を持つ必要はない

 日米安保条約では、アメリカが他国に襲われたとき、日本が助けに行くとは書かれてはない。こんな不公平ではいざというときアメリカは助けに来てくれないかもしれない、だから日本も助けに行く、集団的自衛権を差し出すという話がある。これもおかしなことだ。
 安保条約では、日本が襲われたらアメリカが守りに来ることになっている。これはその通りだ。一方、日本は在日米軍基地を提供するということが書かれている。在日米軍基地というのは、日本を守るためではなく、アメリカの世界戦略のために置かれている。また東アジアで何かあった場合、米軍にとって最優先に救出すべきは米国民であって、次に英国・カナダなど緊密な同盟国の人々だ。日本人は日米安保があっても優先順位はかなり低い。

軍事基地の提供は主権の放棄に等しい出血大サービス

 そんな米軍基地のために我が国は自国の領土を割愛しているのだが、他国に軍事基地を提供するというのは、主権の放棄に等しい出血大サービスである。しかも日本は毎年何千億円のお金を出して米軍基地の維持費を払っているのだから、片務条約だからといって劣等感を持つ必要はないのではないか? おつりがくるくらい大盤振る舞いしているのではないかと思う。
 また仮に米軍に出て行ってほしいと言ったらどうなるか。簡単には出て行かないはずだ。米軍が基地に閉じこもるだけでなく、下手すると最近のウクライナとロシアのように周辺地域を制圧される。基地提供というのは国にとってそれだけ大きいリスクがあるということだ。

安倍内閣の憲法観

今年の国会で安倍首相は立憲主義について質問されたことを受けて「憲法が権力を縛る、そういう憲法観は絶対王政、絶対主義の時代のものだ」と言った。しかし絶対王政とは王の言うことがすべての時代。そもそも憲法は存在していない。ジョージ・ワシントンがアメリカの初代大統領になり、絶対王政に対する民主主義ができたときに生まれたのが憲法だ。…我が国のトップがこれでは…本当に恥ずかしい。
 あらためて言うが、憲法は主権者たる国民の最高意思として権力担当者(政治家と公務員)を規制するものである。

96条改正に失敗して解釈改憲へ

 安倍首相は昨年、憲法96条の先行改正を試みて失敗した。96条はたかが手続きという声もあるが、権力を持つということは、国会内で過半数の議席を持っているということを意味する。過半数で憲法改正の発議ができるようになると、いかようにでも自分たちの嫌いな憲法に屁理屈をつけて跳ね飛ばそうとするので3分の2を必要要件としている。権力者を縛るものだからこそ、憲法は弾性ではなく硬性、厳格な手続きが必要なのだ。
 96条改正ができなくなった。そこで憲法を無視して先に進もうというのが今の解釈変更の発想だ。首相の家庭教師集団の安保法制懇の文書によれば、今の憲法は戦争と平和について何も書いていない、だから政府が必要と思うことを国会で相談して決めていいという結論になっている。…そこまで言えるのかと恥ずかしい思いだ。

安倍政権の挙げる事例は集団的自衛権なしで対応できる

日本人の母親と赤ちゃんを乗せた米軍艦船

 自民党には集団的自衛権がないと日本は守られないという強迫観念がある。
 安倍首相が5月の記者会見でパネルを使って説明していたのは、朝鮮半島で戦争が起きたとき日本人の母親と赤ちゃんが米軍の船で帰ってくる。その船が北朝鮮の船に攻撃されたとき、日本の自衛隊は助けに行かなくていいのですか、というものだ。専門家からも非現実的な想定だと批判があるが、米軍の船を自衛隊が助けるために、集団的自衛権が必要という理屈をつけたいのだろう。
 しかし日本人を保護する権利義務は当然日本国にある。だから、日本人が乗っている船の国籍に関係なく、それを守るのが日本の権利であり義務で、個別的自衛権の話だ。

在日米軍が攻撃目標 領空通過のミサイルは

 朝鮮半島有事。これは北朝鮮と米韓連合軍が戦うことになり、同時に在日米軍基地が敵の攻撃目標となることを意味する。このため、日本は自動的に戦争に巻き込まれることになる。この場合の日本は、日本の領土である在日米軍基地を守ることと同時に、周辺の日本人、日本人企業の資産や航空機、船等を守る権利義務が生じる。これも個別的自衛権の話である。
 北朝鮮がグアム島周辺へミサイルを飛ばすというとき、日本の領空をミサイルが通過するのを見過ごしていいのかという議論もある。
 この対応にも集団的自衛権は必要ない。日本の領土、領海、領空を許可なく通るものについては、広い意味での警察権、社会から危険を除去するという行動権の一番大きな範疇で対応できる。技術的には自衛隊が日本国の警察権を行使して排除することになる。

PKOの事例も正当防衛で

 PKO(国連平和維持活動)の駆け付け警護。これはPKOに行っている部隊が周辺でNGO活動している日本人が襲われたら助けに行くというもの。これは日本の機関が日本人を守ることから、個別的自衛権か人が被害に遭っているのを見つけたということで正当防衛ということになる。
 また、PKOで日本を含むいくつかの外国中隊が集まった連隊が襲われた場合。例えば、日本中隊が襲われれば同じ連隊にいるオランダが助け、オランダが襲われれば日本が助ける。これも正当防衛の話だ。
 なにも大騒ぎして集団的自衛権を説明する必要はない。

集団的自衛権の行使は日本に新たな危険を招く

 あらためて強調するが、集団的自衛権を認めると、日本の自衛隊は世界の警察アメリカの二軍として世界中について行くことになる。
 今、地球上ではキリスト教文明とイスラム教文明の歴史的戦いが続いている。正面衝突すれば戦力的に劣るイスラム系の人たちは殲滅させられてしまう。だから軍服を私服に着替え、武器を砂漠に隠し抵抗しているわけだ。それらのイスラム系の国々に米軍がやってきて、その後ろで水、食料、弾薬の調達・運搬をしている日本の自衛隊。我々は米軍と一緒ではない…我々は敵ではありません、とは言えないのではないか。
 集団的自衛権を行使することは米軍と一緒なのだから、9・11が日本で起きる可能性が出てくる。それを国民が覚悟して行うなら結構です。やりたかったらちゃんと理由をつけて憲法改正を提案すればいいのではないか。私はそのような覚悟はしていないし、今までのところの理由は全部賛成できない。

おわりに

 憲法改正に関わる国民投票法は、結構いい法律だと思う。自民党当初案を変更させ、改正案を一括提案ではなく章ごとに分けさせ、最大6カ月間、国民の議論にさらす。また、発議には国会議員の3分の2以上の賛成が必要で、国会には賛否半々の数の委員による委員会が作られる。そして賛成理由・反対理由を、それぞれ同じページ数のペーパーを全有権者に配布するという内容だ。
 集団的自衛権に対応する関連法律の改正は、来年1月の通常国会でという話が今出ている。当初予定していた今秋の臨時国会で行われなくなったのは世論の勝利だ。このたたかいは当分続く。本日は地域に影響力のある方々にお話しできる機会をいただいたことをありがたく思う。