第20回 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)世界大会に参加して
2012年8月30日 世話人代表 金井英子
今年8月24日~26日 広島に於いて、IPPNW世界大会が開催されました。私は開催地が広島である事と、福島第一原発事故を経験した日本で開催されることに強い興味を持って参加させて頂きました。
私は25日の昼に広島に着きました。午後からは「被爆2世医師シンポジウム」がありました。
被爆2世医師シンポジウム
シンポジストは以下の方々です。
檜山 桂子 福原医院理事長、元広島大学原爆放射線医科学研究所准教授
鮫島 弘一 サンパウロ大学医学部放射線科・腫瘍科准教授
調 漸 IPPNW日本支部国際評議員、長崎大学理事・副学長
「被爆2世」は広島では普通のこと
檜山先生はご主人も被爆2世であり、子ども2人は二重の被爆三世であると述べておられました。けれども、広島に於いては被爆者の子どもであると言う事は普通の事であるとも述べられました。仕事の内容が、「被爆者の子どもへの遺伝的影響の研究であり、放射線の遺伝的影響は自身の問題でもある」そうです。幸いにして、現在のところは被爆2世には放射線による影響は出ていないというのが通説です。けれども、その学説が今後も真実であり続けるという保証はどこにも無く、私たちは引き続き異常が出ないか検証してゆく必要があると思いました。
また、コメンテーターとして駐広島韓国総領事 シン・ヒョングン氏も講演されました。 彼の父親は元韓国原爆被爆者協会会長のシン・ヨンス氏です。シン・ヒョングン氏は外交官としてデンマーク、中国などの勤務の後に父親が被爆した広島に赴任されました。核兵器のない世界平和、被爆者問題、日韓関係問題に寄与したいと考えておられます。彼は講演の中で、広島で被爆した人の9%が韓国人であり3万人が生き残った。2680人が被爆者手帳を持っている。と述べられました。(そのように聞いたと記憶しています。)現在「竹島問題」で、日韓関係は良くないですが、竹島に囚われ過ぎて韓国との間の大切なものを見失ってはいけないと感じました。
どの方も「体験を伝え続けていかなければならない。」とのべておられました。
モデレーターの広島赤十字・原爆病院呼吸器科部長の有田健一先生は「若い時は仕事が忙しくて、年を重ねてからしようと思った。でも、そうではなくて、それぞれの立場で出来る範囲で伝承して行こう」とおっしゃったのが大変に印象的でした。
放射線の影響・脱原発・福島の事故とJMATの活動
最終日午前は、以下に参加しました。
全体会議Ⅳ「原子力エネルギー:健康と環境への影響及び核不拡散問題」
全体会議Ⅴ「東電福島第一原発事故:事故の経緯と医療支援」
福島第一原発事故医療支援について日本医師会より報告
「東日本大震災の福島第一原発事故にたいするJMATの活動」
「100ミリ以下のリスクはわからない」に批判の声
全体会議Ⅳでは、国際放射線防護委員会(ICRP)の丹羽大貫委員が、「100ミリシーベルト以下では発がんリスクは明確に分からない」と説明すると会場から批判が上がりました。また、毎日新聞がIPPNW共同会長タイパレ氏に行ったインタビューでは、「原子力エネルギーの是非を巡る議論には、日本のみならずIPPNW内部でも意見が分かれている」と彼女が述べておられるとの事でした。ちなみにタイバレ氏はフィンランドの厚生大臣、社会問題大臣を歴任された方で、4人の子どもと6人の孫がいるとのことです。凄い人です。
IPPNWスイス支部のアンディー・ニーデッカー放射線医学教授は大変に歯切れよく脱原発の話をされました。フランスの原発関連企業は業績が低下しており、中国では再生可能エネルギーに大きな投資をしている。原発のコストはますます高額になってきている。など、分かり易いお話でした。日本も再生可能エネルギー開発で世界のリーダーシップをとれるように頑張ってほしいなあと思いました。
外国の人たちに衝撃だった福島第一原発事故
全体会議Ⅴは時間が足りなくなり、片岡勝子モデレーターが、質疑や討論は中止しましょうと話したところ、一時会場が騒然としました。結局、昼食時間を短くしましょうということで、質疑の時間が確保されました。福島第一原発事故は日本人は発表内容に関する予備知識をもって聞きましたが、外国の医師たちは初めて現場の声を聞かれたと思うので、インパクトが強かったり、理解しがたい出来事も多々あったのであろうと推測しました。
講演時間を危うく削られそうになった石井正三先生の「JMATの活動」は大変に立派なお話でした。英語も母国語のように話されました。
アピールに盛り込まれなかった「脱原発」
昼食後に全体会議Ⅵ「まとめ」がありました。
閉会式は中座しましたが、ネットで中国新聞の記事を読んで、閉会式で読み上げられた「ヒロシマ平和アピール」の内容を知りました。大会を通じてIPPNWとして取り組むよう求める声があった脱原発はアピールに盛り込まなかった。と記載されていました。あれだけ脱原発をみなさんが訴えていたのに、これは一体何なんだ!という気持ちになりました。
アピールに脱原発を明記出来なかった事は残念でしたが、活動を継続することで、近い将来必ず脱原発をIPPNWの公式見解に出来る日がくると信じたいと思います。
私を広島に送って下さった富山反核医師の会に深く感謝したいと思います。