怒りの医師たち 保険医協会はどう受け止めたか
川腰医師の自殺から、ちょうど1週間後の月曜日にあたる10月18日。保険医協会では、定例の10月度理事会が開かれることになっていた。毎月1回行なわれている理事会だったが、この日は、事前に決められていた議題が大幅に変更されていた。川腰医師の自殺の問題が、話し合いの中心にすえられていたのだった。
保険医協会に相談の電話をして、入会の申込書を送ってきた直後に自殺した若い医師。開業医仲間である保険医協会の理事にとっては、そういう医師がいたことだけでも衝撃的な話だった。さらに、この1週間ほどの間にしだいに明らかになってきた事実は、保険医として黙って見過ごすわけにはいかないものばかりだと思われた。
以下、 『開業医はなぜ自殺したのか』(あけび書房)より抜粋
急遽議題を変更した理事会
16日の土曜日、保険医協会事務局長(以下、事務局長)は帰宅の途中で上市町に住むひとりの小児科医(以下、国谷医師)を訪ねてみた。自分の子どもたちを診てもらったこともあり、以前から個人的にもよく知っている医師だった。もしかしたら、8月27日の個別指導について、なんらかの情報が得られるかもしれないという期待があった。 「君、あの指導はひどいもんだったよ。こんなことがあってもいいのかと思って、僕はずいぶん憤慨して技官とやりあったんだよ。」 話が川腰医師の自殺のことに触れると、国谷医師は、感情を抑えきれないかのように自分から語り始めた。(中略) 富山の地で、多くの開業医や保険医協会にもわからないところで、「指導大綱」の主旨から逸脱した個別指導がおこなわれている。事務局長は国谷医師に、2日後に迫った協会理事会で詳細を語ってくれるよう要請した。 保険医協会では急遽、川腰医師の指導問題を中心にした理事会へと変更することになった。 自殺者までをもだした「個別指導」の実態。しかも浮かび上がってきた問題からは、川腰医師だけのことにとどまらないのがしだいにはっきりしてきた。まずは真相を明らかにしていかなければならない。そのための運動が、保険医協会によって始められようとしていた。
同じ指導を受けた医師を迎えて
10月18日午後7時半、保険医協会の会議室には、1日の診療を終えた理事の医師たちが集まってきた。予定されていたすべての議題をあとにまわして、まず国谷医師が紹介された。 「私はその日、技官の先生の様子をみておって『この人、機嫌悪いんかなあ』と思ったのです。ひどくつっかかってくるものの言い方をするし、指摘される内容も、何かおかしいことが多かったのでね」 国谷医師は、自分の受けた指導の様子を穏やかな口調で語っていった。 その日、国谷医師たちを指導したのは、一柳兵蔵という79歳になる指導技官だった。一柳技官が「厳しい」技官だといううわさを、国谷医師は以前から耳にしていた。 (中略) 指導を受ける日がちょうど同じになったのも、何かの縁なのだろうか。1週間ほど前になって、川腰医師から国谷医師に「指導というのはどういうもんですか」とたずねる電話がはいった。 「悪いことしてなけりゃ、びくつくことは何もないよ。何か言われたら、じゃあどうしたらいいんですかって、教えてもらいなさい」 国谷医師は自分自身軽い気持ちで、そう答えた。 しかし、指導をおこなう技官だった一柳医師の態度は、「指導を受けよう」という医師側の率直な気持ちさえ打ち砕くような理不尽なものだったのだ。 「僕の次が川腰先生だとわかってたから、納得できないところはこうやって聞き返すんだって、教えるつもりで声を高くしてやってたんですよ。でも川腰先生は、みんな黙って受け止めちゃったんですよね…」 9月に入ってからも、国谷医師は郡医師会の理事会などで川腰医師と顔をあわせた。元気のない顔をしていたが、まだ若いから立ち直りも早いだろうと国谷医師は思っていた。 改善報告書の書き方で相談があったとき、国枝医師はできる限りのアドバイスを与えて、保険医協会の事務局長に詳しく聞くように伝えた。川腰医師は言われたとおり協会に連絡をしてきたが、その数日後に自殺という道を選んでしまった。
悔しさに涙を浮かべる医師も
10月18日の理事会に出席していた医師たちは誰もが、8月27日の個別指導を「とうてい指導とはよべない異常なもの」と感じていた。 「自殺の原因は、指導にあると思われますか」 理事からの質問に対して、国谷医師はきっぱりと答えた。 「それ以外に、考えられないと確信します」 この一言が、医師たちの怒りとたたかう意思を、いっそう高めるものとなった。 「一地方の問題じゃない。全国的に取り上げていくベき深刻な話だ。原因を徹底的に究明するべきだ」 何人かの理事が、強調した。国谷医師の話を聞きながら、悔しさに涙を浮かべる医師もいた。 「国民医療の向上と保険医の権益を守ることを目的としている協会にとっては、その存在意義をかけて取り組むべき課題」 田中悌夫副会長は、協会の運動方向について会議中に急いでメモ書きし、そう提起した。 具体的には、従業員や関係者からさらに事情を詳しく聞き、徹底して真相を究明すること、県当局に対する抗議文や公開質問状の提出、マスコミや県議会議員、国会議員への働きかけなど、世論に訴えていくこと、全国保険医団体連合会と連携して全国的な運動にすることなど、これまで蓄積した運動の経験を生かした取り組みを展開しようとよびかけた。 わきあがる医師たちの怒りのなかで、協会内に斉藤大直副会長を委員長として「対策委員会」を設置し、全力をあげて運動していくことが確認されたのだった。
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