市民公開講演会 江川紹子

協会は10月11日、ホテルグランテラス富山にて江川紹子氏を講師に市民公開講演会を開催し、155名が参加しました。江川氏は「私の取材ノートから読み解く この国のかたち~混迷の時代を生きる、命と人権の重さ~」と題して講演。これまでの国政や事件の取材を振り返りながら、物事を「善か悪か」の二元論で見るとわかりやすいが、両極に分けて考えるのではなく両方それぞれの面を見ていくことが大切だと述べました。
2004年のイラク日本人人質事件を契機に「自己責任」という言葉が一般受けしたことに触れ、「自身との違いを強調するのか、共通点を手掛かりに想像力を働かせるのかで結論が違ってくる。私たち民衆の中に二元論的な考えがあることを自覚した上で、社会をどうするか考えたい」と呼び掛けました。

私の取材ノートから読み解くこの国のかたち

ジャーナリスト 江川紹子さんの講演から

「善か悪か」の二元論では本質が見えにくくなる

江川 紹子(えがわ しょうこ) 1958年東京都生まれ。 1982年早稲田大学政治経済学部 卒業、神奈川新聞社入社。 1987年同社を退社、以後フリー。 国際情勢や国内の社会問題、教育 問題、若者をめぐる状況、人権・ 平和等に関して、精力的に取材・ 執筆を行っている。

正しいか間違っているかというように、2つに分けてしまう概念を二元論といいます。私は、この両極に分けて考えるというやり方は違うと思います。
格差が話題になり始めた頃、報道番組での討論会に参加することになりました。最初の質問は、「あなたは格差に賛成ですか、反対ですか」。私は「答えられません」と言いました。自由な社会の中で競争があれば、結果として格差がつくのは当然です。しかし底辺になってしまった人たちが健康で文化的な最低限度の生活が営めない、底辺から再び上がる機会がない状況はいけないと思います。
二元論では、物事の本質が見えにくくなってしまいます。両方の面を見ていくことが大切です。
現在の日本のメディア、とりわけテレビは白か黒かの二元論的な発想が見られます。短い時間の中で、間違っている、正しいと言える人は歯切れがいいと評価されます。テレビ局の思慮が足りないというよりは、視聴率が取れるからです。視聴者も素早く結論を言われることに慣れ、そうではないものに対しては、何をダラダラ言っているのだと感じます。テレビがそうだと視聴者もそうなるし、視聴者がそうだからテレビも合わせるという、鶏が先か卵が先かという関係が生じています。

ポピュリズムの4つの特徴

私がオウム事件の記事を書いていた週刊誌の当時の担当の方に聞くと、今はシンプルな物言い、行動を取る人が人気だそうです。そして、こうだと断言してくれる人が流行る。近年、ポピュリズムと呼ばれる政治運動が出てきていますが、このような風潮を受けた動きといえま
す。
政治学者の水島治郎さんは、著書『ポピュリズムとは何か』(中公新書)で、ポピュリズムには4つの特徴があると述べています。
1つは、人民、庶民重視です。「都民ファースト」がまさにそうです。大衆に受けるものが正しいという考えで、わかりやすいスローガンで人の気持ちを掴むことを重視します。2つめは、エリートや既得権益を批判する。しがらみのある人を徹底的に批判するということです。今まで積み重ねてきたものを一気に変えていこうという考えになります。3つめは、カリスマ的リーダーが存在する。4つめは、イデオロギー的な薄さ。イデオロギーがないわけではあ
りませんが、あまり執着しない。憲法改正を言ったかと思うと脱原発と言ったりする。大衆に受けそうだというところで切り替えています

テレビとポピュリズム政治は持ちつ持たれつ

私は、さらに3つの要素を付け加えたいと思います。
1つは、事実の軽視。歴史的な事実を平気で無視することもあるという意味です。前言を簡単にひるがえす。そして、本音重視。これまでは言えなかったことをズバっと言い、あなたも本当はそう思っているんだよね、と相手の感情に働き掛けます。3つめは、目的のために手段を選ばない。ポピュリズム政党のリーダーは、行動がわかりやすく、大衆や視聴者に受けるので、テレビにとっては良いネタになります。
テレビとポピュリズム政治は、持ちつ持たれつの関係性であるということを理解しておかなければいけないと思います。

イラクの二の舞になりたくない北朝鮮

戦争は昔からメディアにとっては良いネタです。戦争になれば、自分の家族は、私たちはどうなるのか。究極の二元論です。ニュースで北朝鮮の動向が取り上げられていますが、国際関係はとても複雑です。
 北朝鮮側は、アメリカは北朝鮮の体制変革をねらっていると主張しています。日本から見ると誇大妄想ではないかと思うところがありますが、北朝鮮から見るとそうではない。2003年に始まったイラク戦争の例があるからです。
 攻撃が行われる以前から、イラクには大量破壊兵器はないとの指摘がなされていましたが、当時のアメリカには聞き入れられませんでした。
 北朝鮮はその事実を見ていて、イラクの二の舞になってたまるかと、当時のイラクが行ったことの逆をしています。国連の査察団を追い出し、核の開発を行い、アメリカに攻撃する意図を示しています。
 過去の複雑な歴史があって現在があるわけですが、メディアはそれらを総合して伝えるより「北朝鮮は怖いですよね」といい、北朝鮮は悪で日本は被害者という構図を伝えています。
 現在、対話か圧力かのどちらかしかないような伝え方を政府もメディアもしていますが、対話をするための圧力でなければいけない。圧力を掛けつつ対話の準備をするという重層的な準備が必要だと思います。

二元論的発想で突き進んだアメリカ

イラク戦争のときに、衝撃を受けたことが2つあります。当時アメリカのブッシュ政権は、政権運営が二元論的発想で目的のために手段を選びませんでした。アメリカの味方か敵かと様々な国に判断を迫り、戦争反対を表明した国を「反米国家だ」と指摘しました。
私は二元論、そして目的のために手段を選ばないという2つの発想を合わせ持つのは、オウムのようなカルトの特徴だと思っています。アメリカがそのような状況だったことにショックを受けました。

自身との違いを強調するか、共通点を手掛かりに想像力を働かせるか

もう1つは、イラク戦争中の2004年に日本人3人が武装勢力に拉致され、解放の条件として、日本政府は自衛隊の撤退を要求されたことがありました。このとき、政府から「自己責任」という言葉が出ました。この言葉は一般受けし、拉致された3人や家族に対する批判が吹き荒れました。
自分の子どもが人質になり、手の出せないところでどうなるかというときに、親の気持ちとして、できることなら助けてくださいと言うことがそれほど罪なことなのかと思います。親の気持ちへの想像力が欠落し、自己責任という発想が受けたことがショックでした。
それぞれの事情があるとはいえ、自身との違いを強調するのか、共通点を手掛かりに想像力を働かせるのかで、結論が違ってくるのだろうと思います。
私たち民衆の中にはポピュリズム的発想や二元論的な考えがあります。そのことを自覚した上で、私たちが社会をどうするかということを、日常的に捉えて、考えていくことが大切だと思っています。 (了)