2014.08.3 第7回山歩き会

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貸し切りバス・ゴンドラで 白馬・八方尾根を歩く

末娘と一緒に

ウィズ歯科   小竹 彌

 初めて参加させていただきました。
 今回、僕に厳しく優しい三女(中学二年)に山登りがあるらしいけど行ってみるか、と声をかけたところ行くという。三歳で雄山登山を経験している彼女には何か惹きつけるものがあったのかも知れません。
 僕の登山には苦行という概念がなく、山小屋で焼き鳥やステーキ、春巻きやら餃子、鮮魚の刺

半数の参加者が扇雪渓まで足を伸ばした

身といった、まじめな登山家には非常識だと批判されるかもしれないことを、天空で自由にできるのが登山の面白さと思っています。それは、持って上がった人だけに与えられる特権ですから。
 因みに今回の昼食メニューは、有名肉屋さんのサーロインと娘にリクエストされた牛合い挽き肉を使ったハンバーグシチュー。食事の前に作ったコーンスープとコーヒーの他に、フカヒレスープはないのかなと言われたときは、持って来るべきだったとちょっと落ち込みました。
 思春期となった娘と思いがけなく一緒に山に登り、歩きながら山で遭難したときの心得や、笹を食べて生き延びた遭難者の話を素直に聞いてくれた彼女に何となく安心しました。
 幼い頃にいつも一緒に歌っていたケロロ軍曹の歌を歩きながら歌うと、下手な歌を歌わないで恥ずかしいからと彼女…それでもスキをみて歌ったり駆け下りる競争をしたりしながら下山しました。

わずかな雲間からの白馬連山に感動

福老館クリニック 川田 洋子

 先日は、楽しいひとときを過ごすことができ、ありがとうございました。
 以前より、行ってみたい所のひとつだったので、チラシを見てすぐに申込みました。当日は雨の心配をしましたが、雨具はリュックの底で休憩しているだけで良かったです。
 リフトから見る色とりどりの高山植物が心なごませてくれました。

雲の切れ間に姿を見せた白馬連山(八方池から)

 八方池までの散策中には、時々雲の間から白馬連山が見え感動しながら登山道をすすみました。事務局の方には、グループのひとりひとり体調を気にしながら、登っていただきありがたかったです。
 早朝に食事を済ませたため、山で食べるお弁当はとてもおいしかったです。晴れていれば、絶景が望めるであろう八方池…天気の良い日に改めてチャレンジしてみたいと思いました。

風に語らしめよ

ナラティブホーム  甲田 克志

 予期せぬ八方行きに感謝している。誘われれば行くが、自らは動かないという不精さだが、八方池は神々しく、霞の中で垣間見た白馬三山は素晴らしかった。
 こんな不精者に山の魅力を語り続けてくれる大先達がいる。わがナラティブホームの指南役で、無報酬で助けてもらっている八十歳の荒川龍夫医師だ。もちろん硬骨の現役である。金沢大学医学部卒というより山岳部卒で、北アルプスを隈なく徒渉し、山小屋の主人ともツーカーで、今でもスケッチ目的で立山に登る。剣岳は別格が持論で、山の話題では尽きることはない。スキーの名手でもある。いつも感心するのはスキーの手入れで、シーズン前には自らワックスを塗り、万全の準備で怠りない。そういえば旅行に一緒すると、小さなリュックにきれいに折りたたんで必要なものが収まっている。医療も実は備えることが肝要なのだ、と背中で教えてくれているのだ。
 登山といえば、この方のことも忘れてほしくない。藤平正夫・元日本山岳会会長で、北陸銀行の役員だったが、〇三年に七十三歳で亡くなっておられる。京都大学山岳部卒で、荒川さんも立山で手ほどきを受けている。ヒマラヤへの夢を抱き続け、一九五三年に京大学士山岳会としてアンナプルナへ遠征をするが、登頂寸前の七一〇〇m地点に張ったテントが烈風で破れ、死に直面する凄絶な退却を余儀なくされた。そんなことが綴られている『今は風に語らしめよ』は、藤平さんが自費出版された書名である。
 富山駅前・富劇ビルに「初音」という居酒屋があるが、軒下の赤い提灯に京都大学山岳部と大きく記されている。不精者はここで呑みながら、山男達を思いやる。風は何を語っているのだろうか。