第7陣 震度6の余震を乗り越え 最高のチームが出来上がった
鹿嶋小児科医院 鹿嶋 秀人
3月11日、東日本大震災にて被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
私の父が山形、母が秋田出身で、私も中学まで山形で育った東北人です。震災発生よりいてもたってもおれず、JMATに参加いたしました。仙台在住の母、姉と連絡が取れたのは、6日後のことでした。
4月12日朝、第7陣として集合場所の医師会館へ向かう車中は、被災地へ向かう緊張感と共に初めて顔を合わせるチームへの緊張感が入り混じった複雑な心境でした。
メンバーの五人全員が初めて顔をあわせた
我々のチームは、5人全員が初めて顔をあわせるチームです。いわき市へ向かう途中、郡山の手前で、震度6の余震があり、本部から“行くか戻るか”の連絡に、一同“行く”と決断。その時から最高のチームが出来上がりました。看護師の2人は、“冷静かつ頼りになる吉田さん”“熱血で誠実な中川さん”事務の2人は“寡黙の中に熱い心のタフガイ栗林さん”“細かいところまで目の届くチームのナビ毛利さん”そしていわきで合流した薬剤師の片山さん、森君、西岡さん。チーム全員の無償の心を力に借りて現地での4日間、我々全員がやらねばならないことを全力で精一杯、微力ながらも活動してきました。
はがれかけた一枚のポスターに思いを込めて
活動3日目に塩屋岬の集落を視察させていただきました。石巻、気仙沼同様に集落すべてが壊滅です。そこのバス停で波にのまれ、はがれかけた1枚のポスターを見つけました。3月23日に行われるはずだった第1回フラガール甲子園のポスターです。我々一同は、そのポスターを“来年こそは開催できるように”との思いで、大切に持ち帰りました。
小さなチームが、いわき市、東北そして日本というチームのために…すべての人が心を1つにして、この未曾有の大惨事を乗り越えていきましょう。 “Team for the team”
(2011年5月15日 とやま保険医新聞)