医療支援、JMAT⑥

第6陣 被災地でも多職種連携を

後列左から杉田・平井(保険医協会)、小熊歯科医師、林(保険医協会)、茨城県薬剤師会から張替さん、岡山県薬剤師会から片山さん、前列左から冨堂看護師(南砺中央病院)、山守歯科衛生士、中里歯科医師、吉野医師、岩井看護師(黒部市民病院)

医科・歯科医師・看護師・歯科衛生士・薬剤師がチームを組んで

●4月8日、富山県医師会で出発式。岩城勝英県医師会会長、矢野博明協会会長、三谷順子県看護協会会長から激励を受ける。
●実働4日間で1日5~9カ所の避難所を回り、不調を訴える避難者を診察した。医科チームは延べ229名(延べ31カ所)、歯科チームは延べ74名(延べ26カ所)を診察した。
●毎日午後5時にいわき市医師会館内で他県のチームも参加しての全体ミーティングが行われる。確認される内容は、  
・1日巡回して気になる患者や避難所の状況について報告検討、
・翌日の各チームの訪問避難所、同行薬剤師の確認、
・市内の放射能測定値の報告、
・市、医師会、保健所からの連絡事項など。各チームからの歯科医療ニーズもここで紹介を受ける。
●巡回診療時(日中)に避難所にいる避難者は、市発表の収容人数の半数以下でそのほとんどが高齢者と子ども。震災直後の災害救助医療はすでに終了しているため、重症者はすでに入院している模様。避難者の訴え・症状は、  
医科:高血圧、不眠、下痢、発熱、咳 など   
歯科:入れ歯の調整、震災により中断になった虫歯の治療、口腔内の乾燥 など
●いわき市滞在中に震度6弱の地震に2度遭遇した他、昼夜問わず震度1~5の余震が続く。
●12日、福島第一原発事故の国際評価尺度の暫定評価がレベル5から7に引き上げられた。

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歯科医療支援富山チームに参加して 元いわき歯科医師会長 中里 迪彦
歯科衛生士として富山チームに同行 福島県歯科衛生士会 いわき市部長 山守 理真
薬剤師として富山チームに同行   岡山県薬剤師会 片山 克彦

 

暗~い表情が明るくなった

魚津市・小熊歯科医院    小熊 清史

あわただしく巡回したため衝立を立てる余裕がなく、「まるみえ」の中で歯科受診するには抵抗があっただろうと思う(小熊)

 JAMT参加の打診があって、実のところ戸惑いました。被災地の人々のために何ができるのか、見当がつきません。  
 ふっと脳裏に浮かんだのは40年以上昔のことです。東京の下町や地方の無歯科医村を駆けめぐるフィールド活動三昧の学生時代でした。医療人としての原点がそこにあったはずだ。 なんとかなる、と自分に言い聞かせました。
 とはいえ、時間的な余裕もなく、あわただしく準備にとりかかりました。  
 寝袋が要るのだろうかと心配したり、食事の足しにカロリーメイトをバッグの片隅に入れたり…それらは取り越し苦労でした。JMATのサポート体制は想像以上にしっかりしていました。

 市役所職員が道案内に

 富山のほか各地からの6チームが同時に避難所を巡回します。それぞれに市役所から道案内の職員が張り付きます。基地となっている市医師会館には薬品や資材が充分にストックされています。毎日ミーティングが開かれ、そこには市の保健師が出席します。競輪場へ行ったこともないのに選手宿舎を体験しました。

蛇口とトイレが不足 避難所を想定しない体育館

 避難所の衛生環境は劣悪です。上下水がいまだに復旧していないところがあり、工事現場で見かけるような仮設トイレが設置してあります。高齢者や足の悪い人には使いづらい代物です。ある避難所では屋外にテントが2つ張ってあり、何だろ?と思ったら、中にポータブルトイレが置いてありました。  
 水が復旧しているところでも、蛇口が屋外に2つだけ、とか、トイレは屋外の別棟という例が多くみられます。避難所の多くは学校の体育館です。ほんらい、元気な子供たちが走り回って使う施設であり、避難所として使うことは想定外なのでしょう。

口腔乾燥防止にストローをつけたペットボトルの使い方を教えている

あれこれ準備したが失敗も多かった

 治療よりケアが大切になる、と頭では考えていたのですが、現場では応急処置でもたついているうちに、ケアまでは手が回りませんでした。歯ブラシやスポンジブラシをたくさん持っていったのですが…。  
 義歯ケースへの需要が思いのほか多く、足りなくなって現地の先生にお願いして補充してもらいました。プライバシーのない避難所の中では、フタつきのケースが欲しかったようです。  
 口腔乾燥が多いことを予想して、加湿剤や手製の「吸い口ボトル」なども用意していったのですが、活用できませんでした。
 あれこれと準備したものが無駄になったり、足りなかったり、失敗が多くありました。なにからなにまで「想定」するのは不可能です。「想定外」への対応こそが危機管理だと痛感します。

心強かった現地の歯科医師と歯科衛生士の応援

 何よりも心強かったのは現地の歯科医師、歯科衛生士の応援でした。自らが被災者でありながら応援してくださった方々には、ほんとうに頭が下がります。  
 何々町から来ました、と言われても、それが原発の避難区域なのか津波の被災地域なのか、まったく見当がつきません。中里先生は、じつに地域の状況に詳しく、おおいに助かりました。
 歯科衛生士の方たちには、本来は口腔ケアに取り組むべきところ、診療のアシストに使ってしまい、たいへん申し訳なく思っています。でも、とても助かりました。ありがとう!  
 さいごにひとつだけエピソードを紹介します。  
 歯の鋭縁が原因で口腔粘膜に褥瘡ができた人がいました。咬合調整をしたら、それまで暗ーい表情だったのが、にっこり明るく「あ、楽になった」と喜んでくれました。来たかいがあった!と私のほうが嬉しかった瞬間です。
 

顔なじみになった被災者に「絆」を感じた

南砺中央病院・看護師  冨堂 友恵

 出発前は、「私には何が出来るのだろう」「自分には出来るのだろうか」と不安な気持ちと極度の緊張感を感じながら4月8日~13日までJMATの富山医師会の第6陣に参加をしました。1日目・2日目と無我夢中で避難所を巡回し業務を行いました。2日目の業務が終わり、津波被災地の現場を見て、想像を超えた現状に言葉を失いました。直接話しを聞かなくてもご苦労や思いが手にとるようにわかり、自分の中で「何かお役に立ちたい」という思いがふつふつと湧いてきました。

看護師としての五感が原点

 今回の任務の中で私自身が考える看護師の役割行動は、「積極的な声かけ」と、看護師としての「五感」を働かせて関わりをもつことだと感じました。五感とは、「観る」…1人1人の顔色や疲労の有無や表情などを観て、必要だと感じた人に声かけをしていくこと。「聴く」…話や訴え、思いを傾聴していくこと。 「触れ合う」…手をとったり体や背中をさすったりするなど触れることで状態を把握したり親近感を持っこと。 「嗅ぐ」…残渣物など食物の状態やトイレの状況など把塵する。これらのことを経験に基づいて行っていくことが必要であると感じました。それが改めて看護の基本であり、原点にもどるということにも気づかされました。

被災者の状況を把握し福祉関係者につないでいくこと

 次に大事なことは、患者様を次につなげて見守っていくことです。心のケアの必要性のある方や障害者の方の避難所での生活状況などを把握し、地元の福祉関係者へ継続的に引継ぎを行っていくことだと思います。避難所では避難されている方々と毎日会って挨拶や会話をしたり、診察を受けられると顔なじみになり、まるで以前からの知り合いの人たちではないかという思いになり、「絆」を感じました。これからも避難されている皆さまのご健康を祈りつつ、1日も早い復興を願ってやみません。 

(2011年5月15日 とやま保険医新聞)

医療支援:JMAT⑦ 

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