医療支援:JMAT④

第4陣 避難者の我慢強さに感銘 今後は心のケアが必要

吉山医院       吉山 泉

左から3人目が藤井さん、吉山医師、草野さん、飴谷看護師、柳田看護師、左の2名は茨城県薬剤師会、右端はいわき市薬剤師会のスタッフ

 東日本大震災に対して日本医師会が派遣する医療チームJMATの富山県医師会第4陣として、私と柳田看護師(富山市民病院)、飴谷看護師(射水市民病院)、事務員として藤井、草野(富山市医師会)の5名が、いわき市の医療支援活動に参加ました。同市は津波で壊滅的被害を受けた小名浜港を含む沿岸部と市の北端が福島第一原発の30㎞圏内にかかります。
 我々は3月31日夕方にいわき市医師会に到着しました。活動拠点である同医師会の建物も基礎がひび割れたり床が傾斜したりしている中、毎日夕方からJMAT合同ミーティングが行われており、当日も愛知、東京をはじめ遠くは福岡からの全7~8チームから避難所の概況報告が行われていました。

被災者に声を掛けてまわる看護師たち

震災後、体が揺れる感じやフラッシュバックを訴える被災者。避難所となっている学校の体育館は紅白の垂れ幕が張られ、遅れた卒業式のまま。学校も新学期を迎え被災者に移動や退所を求めざるお得ないところもある。

 翌朝、市の職員、薬剤師2名とともに、沿岸部と比べるとライフラインや衛生状態も比較的保たれている常磐地区の避難所を巡回しました。避難所に日中残されているのは災害弱者であるお年寄りや要介護者などで、プライバシーも保たれない避難所生活で不眠やストレスから体調を崩したり、持病の慢性疾患の悪化や、通院手段が無く治療を中断している人が多く、2名の看護師たちは被災者の間を声掛けをして回り、時には手を取ったり背中をさすったりしながら体や心の変調の有無を会話の中で探り出そうとする術には感心させられました。ただ、何故か親身に語りかけようとすると富山弁が出て、被災者のお年寄りの福島弁と妙にコラボレート(?)していて、暖かな微笑ましい会話が印象的でした。

疲れの中にも多少の明るさが垣間見えた

 小名浜港は船が陸に乗り上げ、道の両側の家々はがれきと化し、そのがれきの中で探し物をする被災者の姿には心が痛みましたが、後半はこの地区の避難所も巡回先になりました。震災後3週近くを経過していたこともあり、疲れの中にも多少の明るさが垣間見えたのが救いでした。  
 5日間の医療救援活動を通じてどの避難所もそれなりに自主的に秩序正しく運営されており、そこにいる人たちの我慢強さと素朴さや暖かさに感銘を受けました。その反面、今後この人達の心のケアの必要性を感じました。そして1日も早い復興を祈りつつ我々はこの地を後にしました。

(2011年4月15日 とやま保険医新聞)

医療支援:JMAT⑤

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