30周年座談会4

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    1.準備会時代を経て設立総会へ (1977年~79年)

    2.会員112人から600人に大きく飛躍(1980年~89年)

    3.広い視野で活動の幅を広げて会員1000人に(1990年~99年)

    4.小泉医療改革に抗して~会員1200人に(2000年~09年)

 4.小泉医療改革に抗して~会員1200人に(2000年~09年)

ドラスティックだった小泉医療改革

(井本)
 そして21世紀に入りいよいよ小泉政権による構造改革の嵐が来るわけです。

(斉藤)
 小泉政権は「自立自助」や「応益負担」を原則として、官邸主導で審議会を利用しながら様々なメニューをどんどん出してきました。臨調行革の時はハードルが高く実現が難しいとされたメニューが、再び出されてきたというのが小泉構造改革だったと思います。それでも全ての局面で後退したのではなく、我々の運動で一定歯止めはかかったのだと思います。見解の違いはあるかもしれませんが、運動がなければもっと大変なことになっていたでしょうから。
 それに対抗する運動をということで、協会主催でなく町内会や老人クラブに人を集めてもらって、そこに講師を派遣する「出前」という発想が生まれました。

『グラフでみる医療改革』の発行と出前説明会

(井本)
 そういう中で出前説明会を開催し『グラフでみる医療改革』を発行しましたね。

(斉藤)
 小泉医療改革があまりに大規模で多岐にわたっていて、従来のやり方では伝えることができないのではないかと考え、そこでまず医療改革の口実とされたことが本当にそうなのか、という視点で資料を調べ始めました。すると「日本は医療費が高い」「医者にかかりすぎだ」「老人医療費は若い人の5倍」などと言われてきたことが、実際はそうではないことがわかってきた。

(平井)
 出前説明会で一般の人たちにもわかる資料を作ろうと議論したとき、1枚のパネルに1つのグラフということで、いろいろな内容のものを作りました。それが『グラフでみる医療改革』のベースになりました。

(井本)
 その発想は小熊先生が数年前から、医療に関する統計資料で国にとって都合のいい数字ばかり使ってあることを批判して「数字でウソをつくな」シリーズを保険医新聞に連載されていたのも下地になっていたんじゃないですか。

(小熊)
 昨年の本田宏先生の講演会で『グラフでみる…』が最初にスライドで紹介されたのを見て、この冊子が本田先生の行動にも影響を与えていたのだなと感じました。この冊子を出すきっかけとなった「出前説明会」の取り組みについて当時の『月刊保団連』に寄稿しました。
 その原稿の最初に、小泉政権が誕生して10カ月で発表された政策と各新聞の社説が並べてあります。あの時いかにマスメディアが小泉元首相を持ち上げ政策誘導したか、改革の中身もわからずとにかく走らせた犯罪人はマスメディアではなかったか。「三方一両損で改革貫け」と見出しをつけて、国も大変なのだから国民と医療担当者は痛みを我慢しろとミスリードしました。
 今の社説などをみるとこの人たちは恥ずかしくないのでしょうか。こういうことにもう騙されてはいけないという印象を持っています。

県内の町内会、老人会の主催する説明会に講師を「出前」した。写真は石金長寿会での高野正美理事。

(矢野)
 富山協会発全国への企画はいくつかありますが、『グラフでみる医療改革』の発行は特筆されます。40万部発行され県内で7万5千部活用されました。県内80カ所を超える出前説明会を行ったからこそ生み出されたことに価値があります。

医療抜本改革関連法案成立

(斉藤)
 小泉元首相は老人1割、本人3割の窓口負担引き上げを実現しました。市場原理主義の視点でいうと、株式会社問題や混合診療問題では完全実現はできませんでしたし、首相を退いた後は揺り戻しの動きも出てきています。
 また置き土産としては、後期高齢者医療制度、特定健診・特定保健指導、介護療養病床廃止など実施が迫ってから大きく問題が取り上げられるようになったメニューがあります。メニューの一つに都道府県が策定する医療費適正化計画があります。富山県の計画策定にあたっては、審議会に協会事務局が傍聴し、審議会委員や県議会議員に情報提供、発言要請を行い、療養病床削減問題や在宅医療推進などの課題について取り上げていただきました。これらの活動をきっかけに、自民党県議会議員会の勉強会に呼ばれて説明する機会を得たりもし、協会の存在・役割をさらに高めることになりました。

県単独医療費助成制度を守る活動
記者会見で対応する「よくする会」の小熊会長(当時)と制度維持を表明する石井県知事。

(井本)
 小泉改革が酷ければ酷いほど、身体障害者や老人、妊産婦など社会的弱者に手厚い県単独医療費助成制度を守る意味は大きかったと思うのですが。

(小熊)
 私がよくする会の会長を引き受けてからはほとんど後退局面ばかりで、何とか食い止めるということで精一杯でした。
 県が見直しのために「あり方懇談会」を立ち上げたときに、協会事務局で助成額の将来推計をしました。危険だな、大丈夫かなと思っていましたが、結果として県の推計は外れて協会は当たりました。これによって、県議会でもしっかり検証して正しい推計を示したところの考えを聞かないわけにはいかないという流れになったと思います。「あり方懇談会」でも協会やよくする会の存在を意識した協議をせざるを得なくなったと思います。
 1つ残念だったのは、所得制限が導入されたこと。これから取り戻していかなければいけない課題かなと思っています。

 (平井)
 この運動は広範な方々と共同で取り組みましたが、協会は助成額推計の面で存在感を発揮しました。与野党の県議会議員も行政も協会の資料と説明に理解を示し、署名だけではない新たな取り組みを展開することができました。
 この間、国による窓口負担引き上げのたびに県単制度は維持されてきたのですが、支出が増えてきた県も大変です。そういう中で成り立っていることをこちらも理解しながら、それでも急激に助成額が増えることはないのではないかと訴えました。今後そう簡単に手を付けられない環境を作ることができたかなと思っています。

(井本)
 石井知事が会見で「どんなに財政が厳しくても、これだけは守りたいものがあると思う」と言って、制度の根幹を維持してくれたことが嬉しかった。

(太田)
 この取り組みを通じて、障害者団体をはじめ多くの団体との信頼関係が深まったことも協会にとっておおいに意義がありますね。

(斉藤)
 この運動と平行して2002年に身体障害者手帳取得推進の取り組みを行いました。当時すでに矢野先生が積極的にされていましたが、患者負担増が続く中で少しでも負担軽減にならないかということで目を付けました。

 (矢野)
 この取り組みの中で協会では冊子を作りましたが、今でも役に立っています。
 身障手帳は医療費助成だけでなく、生活を支える福祉制度を利用するためにも該当する方には申請の手伝いをしてきました。利用しないで済むならそれに越したことはないのですが、運動の中で勝ち取ってきたものですし、困っている方の助けになればと思っています。

県議会の変化

(井本)
 石井知事の就任から5年間、県議会は協会からみても大きな変化がみられます。変化の契機は県単独医療費助成制度の取り上げ方とその対応だと思います。与野党が競い合って県民の医療を守る立場に立ちました。そして、県単制度以外の分野である療養病床削減やリハビリ制限問題、障害者自立支援法などこの間起きた問題についても耳を傾けてもらいました。最近3年間で社会保障関係の国への意見書が17本も全会一致で採択されたのは全国どこにもないことです。

(太田)
 長年の医療費抑制策と小泉政権による医療改革によって「医療崩壊」が叫ばれるようになりました。埼玉県済生会栗橋病院の本田宏先生をお呼びしての富山の取り組みは、全国的にみても非常に高く評価されています。

 (斉藤)
 医療崩壊は色々なところで表面化しますが、特に産科・小児科の医師不足がクローズアップされています。さらによくみると、地方の最後の引受先になる中核病院の中で医療機能が麻痺していたりします。こういうことに対して勤務医が多忙という話だけではなく、地域全体の医療が崩壊しつつあるという認識に立たなければこの問題は解決しきれないと思います。しかし、マスコミの影響もあると思いますが、実際は開業医、中小病院の勤務医、大病院の勤務医では意識のズレがあって問題が共有化できない状態がずっと続いていました。

(井本)
 そういう中で、本田先生が全国を行脚され、ここ富山で全国初めてだと思いますが、県医師会・県公的病院長協議会・富山大学医学部・全日病富山県支部・保険医協会が共同する形で講演会が実現したことは、非常に画期的なことだったと思います。今回のような企画をあちこちでやらないと日本全体を動かす力にはならないでしょう。

(松村)
 本田先生らが提起された医師・医学生署名の取り組みも5団体が共同して取り組み、県内公的病院勤務医の45%が署名に協力されたことも全国的にみて画期的でした。

(田中)
 あの講演会のチラシを見たとき、協会の呼びかけに県内の主な医師団体が名前を連ね、行政や議会、福祉団体や障害者団体などほんとに多くの関係団体が協賛していました。当日も県医師会長をはじめ錚々たる方々が挨拶に立たれ、会場の国際会議場が参加者でいっぱいになりました。この到達点の高さに、協会設立当時から係わった1人として感無量でした。

故人を偲ぶ

(井本)
 協会役員として協力いただいた故人を偲んでひと言。

(田中)
 高野昇治先生は私が勤務していた赤十字病院の時代、そして開業医になっても保険医協会の役員になっても、その活動を通じてまさに人生の教師でした。30周年を一緒に祝いたかったのですが残念なことです。

 (矢野)
 山秋義人先生も水上陽真先生も突然の訃報で驚きました。山秋先生は本当に懐の深い真の臨床家の印象、水上先生は理路整然で発言する一方で行動力がある、いずれも私にはないものをお持ちでした。己の信念に向かって進んでいかれる先生方で、本当は協会のためにこれから大切な方だと思っていたのですが残念です。

(小熊)
 金森安信先生は非常にやさしい先生で若い先生方を守っていただきました。

 これからの10年

(井本)
 これからの10年ということで、昨年新たに10人の役員を迎え25人の役員体制として充実させました。また、今春の2カ月間は会員拡大に役員・事務局一丸となって取り組み55人の方に入会いただきました。

(矢野)
 協会の役員体制もわれわれ第2世代に加えて、これからの10年を担っていただく第3世代となる若い先生方に役員として加わっていただきました。今春そのエネルギーを活かして会員拡大にも取り組みました。30周年を機に協会を組織的にも財政的にも強くして、これからの10年を見据えた体制作りを目指しました。

(太田)
 会員が設立時の10倍の1200人に、医科の組織率が80%になったというのは一連の日常活動の賜物でしょう。2カ月間でお誘いした非会員の3人に1人に入会いただいたということで、この結果に驚いています。
 一方、歯科の組織率が70%弱と医科にくらべて低いのは、まだまだ努力が足りないということではないでしょうか。お隣の石川協会の歯科は、積極的に活動されていて非常に伸びていますので、富山でもがんばっていきたい。

 (松村)
 昨年実施した会員アンケートは回収率が34%と高く、回答者の9 割以上の先生が「協会は頼りになる」「今のままで発展してほしい」としています。会員は信任しているのだという自信をもってよいと思います。ただ、太田先生が言われたように、時宜にかなった目に見えるサポート・企画というものがこれからますます必要なのかなと思っています。

(斉藤)
 今春、派遣村村長の湯浅誠さんの講演会が開催されましたが、今の日本のセーフティネットには大きな穴があり、すべり落ちていくような社会、しかも誰もが落ち得る状況にあるとのことでした。
 このことを国民が理解して、今の社会保障費削減の動きに対して「転換しよう」という人が多数になれば世の中が変わるわけで、今はそういう機が熟している時だと思います。その中で保団連・協会がイニシアティブをとって動けば、今までの後退を逆転させることができる可能性のある10年になるのではないでしょうか。

30周年をさらなる飛躍台に

(井本)
 最後にひと言お願いします。

(田中)
 協会がスタートした頃と30年経った今を比べるとまるで夢のようです。かつては事務局長の名刺を破ったような方々も含め、県医療界の主な団体が協会と一緒に取り組むようになったことは大変嬉しいことです。

(太田)
 協会は迅速性をもち、求められる課題や会員のニーズを先取りして活動することで現在の評価を得ています。これからも様々な難問があらわれると思いますが、これからも大きな構想力と柔軟さで取り組んでいければと思っています。

(小熊)
 協会の特徴はと人に聞かれたときには即座に、有能な事務局員がいることと答えています。ただ、有能であるということはリスクでもあります。有能であれば周りが頼りがちになります。理事会と事務局が車の両輪となって、役員も会員も事務局も大いに意見を出し合う開放的な関係の中で進んでいけたらと思います。

(矢野)
 協会は今年11月18日に満30歳を迎えます。10月4日にはミュージカル「火の鳥」の公演と祝賀パーティー「感謝のつどい」を開催します。会員・友誼団体の皆さんとともに、これまでの0年間の歩みを振り返るとともに、これからのさらなる飛躍を目指したいと思っています。

(井本)
 本日は長時間どうもありがとうございました。