JMAT⑥ 中里氏

歯科医療支援富山チームに参加して

元いわき歯科医師会長    中里 迪彦

左から山守理真県歯科衛生士会いわき支部長、原英一いわき歯科医師会会長、野木敏久いわき歯科医師会専務理事、小熊先生、中里迪彦元いわき歯科医師会会長

 此の度歯科医療支援富山チームに参加して貴重な経験が出来たこと深く感謝いたします。当時私は診療所、自宅双方が被災し、その整理と15日続いた断水で毎朝給水場に通い、水を運ぶ作業に追われ、疲れと痛みで眠剤と鎮痛剤を飲んで動いていました。 

悲しみ、苦しみを訴える被災者に慰める言葉を失う

 同行した避難所のあちこちに私の患者さんが居りました。津波でご主人を亡くした人、家財をすべて流された人、松の木にしがみついて助けられた人、原発の傍なので避難勧告がでて避難してきた人などと次々に出会いました。悲しみ、苦しみ、目に見えない放射能の恐怖など話され、慰める言葉も出なくなり、聞き役に回りました。
  避難所では出来ない抜髄や抜歯、急性炎症等は最寄りの会員が戻り、診療体制がとれているかを確認してそちらに送りました。阪神大震災の時は早朝の被災でしたので義歯の製作、修理が多かったと記憶しておりましたが、いわきの被災は昼間であり、被災後1カ月経過していたため、義歯以外の症例も多かったのだと思います。  
 地震と津波と馴れない避難所での不自由な生活を強いられて、子供では夜泣き、悲鳴、粗暴な動き。高齢者では不安にさいなまれて鬱の症状や、認知の症状が出ている姿も見られ、これからは口腔のケアと共に心のケアが大きな課題として残ると思います。

この経験を次世代に伝えることが私の役目

 今回富山県のチームに同行させて頂き、小熊先生の温和な人柄と適切な対応に感動し、平井さんの変化する事態に素早く反応して処理する能力に見とれ、チームワークのとれた行動に多くのことを学びました。地元の3人の衛生士さんの活動も含めて、皆様の活躍ぶりは、カメラに記録してありますので、余震と原発問題が落ちついたら、いわきの救急診療の記録も含めてまとめ、次世代に広く伝える事が私に課せられた役目だと思っております。終生忘れえぬ5日間でした。
 ありがとうございました。

(2011年5月15日 とやま保険医新聞)

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