市民公開講演会 飯田哲也氏

市民公開講演会

3・11後の脱原発・自然エネルギー戦略
~ 地域から立ち上げる「第4の革命」~

 11月2日、協会は核兵器廃絶をめざす富山医師・医学者の会との共催で、脱原発と自然エネルギーについての講演会を開催しました。講師はこの分野で今もっとも多忙といわれる環境エネルギー政策研究所所長・飯田哲也氏。会場となった富山県民会館・304号室は140人の参加者でいっぱいになりました。
 飯田氏は、原発は低コストでクリーンだというのはまったくの誤解であり、技術的に未完成で事故のリスクが大き過ぎることから欧米の投資家から敬遠されていること、さまざまなエネルギーの中で持続可能な自然エネルギーへのシフトが世界の流れであることを解説しました。

やっと決まった講演会日程

 協会が講演依頼を打診したのは6月、しかしすでに飯田氏の土日のスケジュールは10月までいっぱいでした。秋は国際会議出席で流動的というなか、平日夜という条件でようやく来富が決まりました。

総合資源エネルギー調査会委員に起用される

 9月末、経産省は原発14基の新増設を掲げたエネルギー基本計画の見直しを議論するため、総合資源エネルギー調査会に基本問題委員会を設け、飯田氏は委員のメンバーの1人に起用されました。
 10月3日の初会合で、発言を求められた飯田氏は、「現状の電力政策は国民の信頼を失った。人心一新した場で審議すべきところ、旧エネルギー基本計画を作成した委員と事務局体制をそのままに若干メンバーを追加した程度では、本委員会の正統性が担保できない」と述べ、①8割を越える国民が脱原発、②巨大事故リスクに対する無能性、③原発の老朽化による急減を大前提として、電力市場の抜本改革まで議論することを求めました。

安全神話による原発推進は、軍の暴走に迎合していった社会構造と類似している

 講演会の司会は反核医師の会の塚田邦夫世話人が務め、主催団体を代表して同会の小熊清史世話人副代表が挨拶しました。  
 飯田氏は、3・11当時国際会議でドイツに滞在中でした。ある中学生がアップしたネット映像で津波の凄まじさを見て、福島第1原発が危ない、と直感したそうです。  
 どんなアクシデントにも万全だと豪語していた電力会社や原子力委員会、保安院は、事故直後から何ら有効な対応ができませんでした。事故当日の22時35分に発表された内閣の公開資料によると、「燃料頂部到達予想21時40分頃、炉心損傷開始予想22時20分頃」 これはメルトダウンの予想そのものです。真水だろうが海水だろうが直ちに注入し、何が何でも燃料棒の露出を食い止めなければならなかった。しかし原子力委員会の斑目委員長は、菅首相の確認に対して、「水蒸気爆発などない」「原子炉は破損しない」と報告し続けたのです。その後、水蒸気爆発が続き、膨大な汚染物質が放出されました。  さらにスピーディ(緊急時放射能予測)の情報が公開されず、風下の被ばく者を大量に生み出しました。もうこれは犯罪だ。しかし誰も裁かれない、誰も責任をとろうとしない、と飯田氏は怒りをこめて告発します。

 また戦争当時の軍の暴走に言及し、戦争反対の声の圧殺や報道規制・大本営発表など、原発推進との類似性まで指摘されました。誰も責任を取らないどころか、同じ過ちを何度でも繰り返して敗戦した日本。当事と同じような日本の社会構造を今こそ転換させなければならないと…。

参加者アンケート 意見欄から(抜粋)

 3・11後の原子力ムラの人たちや政府の対応のひどさに呆れ、放射能の心配で不安な日々にあります。日本はもうダメかもしれないと思いましたが、今日、未来のあるお話を聞き、明るい希望が持てました。とくに市場原理で原発を止める(自然に消える)という考え方は、とても合理的で期待できると思います。とても有意義なお話でした。

 ●今まで脱原発を人道的側面のみで知人に訴えてきたが、未来のこと、経済のこと、国際的な面など、あらゆる点で原発からシフトしていくべきであることがわかった。小水力発電の事業地である滑川はぼくの地元です。滑川市民にとって新しい誇りになるかと思います。それぞれが自らの地で運動を起こし、未来に誇れる行動をしていかねばならないと思いました。
●自然エネルギーは膨大にある! 普及すればするほど安くなる! 技術の集積によって普及は加速度的に! とても希望が持てます。
●身内に原子力発電に関係した仕事をしている者がいます。保守管理の仕事は残ると聞いていますが、しかし、会社の経営は伸び悩むことは必至だろうし、確実にダウンしてきているそうですので、その点が心配です。
●飯田氏は原発震災以後ネットなどでも様々な提言をされ、たいへん希望を持って話を聴きました。このようなすぐれた方を講師に招いて下さり、私たち市民も参加できるよう公開講演会を開いて下さりありがとうございました。

(2011年12月15日 とやま保険医新聞)

大震災を忘れないトップに戻る