追悼集会に187人

患者、住民も120人の保険医が参会

 川腰先生の死を無にしない「故川腰肇医師追悼集会」が1993年12月5日、県内外の医師・歯科医師120人をはじめ、遺族、住民ら187人が参会して開催された。

追悼の言葉(要旨)

病める人のための医療保険制度に

     中新川郡医師会長 西田 隆一氏

 先生に初めてお会いしたのは、平成2年11月、故山田先生の後を継がれた頃と思います。挨拶に来られた時も、やさしくてまじめで学究的な方というのが第一印象でした。
 また自宅から会場まで10キロメートル以上もあるのに、郡医師会の研修会にもよく出席され、私が会長職をお預かりしたときも理事として協力して戴き、ありがとうございました。
 医療には実にご熱心で遠方にもよく往診され、やさしく愛情をもって診療に従事され、患者さんの信頼も非常に厚かったと聞いております。また釜ケ淵小学校や立山小学校、芦晩小学校などの校医を兼任され、先生のにこやかなお顔やお姿など、今でも目の前に浮かんでまいります。
 先生が患者さんの訴えをやさしく聞いてあげようとすればするほど、現在の医療保険制度が立ちはだかり、ずいぶん苦しまれたと推察いたします。私たちは今後先生のお心が生かされるよう真に病める人々のためになる法令に改善されるよう努力したいと思います。ありし日の先生を偲びつつ追悼のことばといたします。

 

医療費抑制策の結果が…

      全国保険医団体連合会 副会長 河野 和夫氏

 保団連を代表しまして、故川腰肇先生に心から哀悼のことばを申し上げたいと思います。
 川腰先生の死が報道された時に、全国の保険医の間に衝撃が走りました。厚生省の医療費抑制対策が、こういう事件まで引き起こすに至ったのかと。指導で人権侵害の暴言を吐かれ医師としてのプライドを傷つけられ、どんなに無念やるかたない思いにかられたか、心からお悔やみ申し上げたい。
 この事件は、単に川腰先生個人の問題、一技官、富山県だけの問題ではありません。全国至る所で、「自主返還」や「萎縮診療」を強いる手段として個別指導が行なわれてきた結果であると受けとめております。
 保団連や各県の協会の規約でも、開業医の生活と経営、権利を守り、県民医療の確保が、その日的に謳われています。まさにこうした事件をくいとめ得なかった、私たちの努力の至らなかったことを心からお詫びしたい。
 今後、こういう悲劇が二度と起きないよう全国の保険医が力を合わせて、改善の運動に取り組む決意を申し上げて、追悼のことばといたしたいと思います。

 

今こそ指導を見直す時

     先輩医師(上市町) 国谷 勝氏

 川腰肇君、すまないことをした。きみの義父の山田先生は同級生のよしみからよくお会いしていました。君のことを、「よい後継ぎができた」とあんなにも喜んでいてくれました。亡くなられる前に「これから何かと力になってやってくれよ」と、頼まれていたんですが、何も力になれず申し訳ありません。
 君は、地域の患者さんのニーズと期待に応えるべく、親切でよい医師になろうと懸命に努力されたと思う。君がいなくなったあとはどうだろうか、広大な無医地区ができただけだった。
 あの日、第一線の開業医の日頃の診療の姿を見ないで、一部悪徳医師に対するような視点で、診療録記載等の不備を追及するばかりであったことは大変残念であります。1日200人からの外来患者、数10件の往診に君は東奔西走し、親切でよい医師になろうと努力した結果がこうなった、「私は何も悪いことはしていない」という君の悲痛な叫びが虚しくならないよう、今こそ保険診療や指導のあり方を見直す時と思います。また県医師会も会員一人ひとりの信頼と期待を失うことのないよう、会員の立場に立った強力なサポートをお願いしたいと思います。

 

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