住民が嘆願書寄せる

無医地区にしないで!!

 ここ富山県立山町千垣地区は雪を戴いた立山連峰を背に、常願寺川の渓谷美が始まる総世帯106戸の山村である。11月4日、嘆願書を送ってくれた桑原ユリさんを訪ねた。山田医院より車で15分走ったあと、夕闇の中自宅前に出て私たち事務局を待っていてくれた。

どんなに吹雪いていても

「いまでも先生が入ってきて、ガラスの向こうでニコッと笑う姿が忘れられんよ。私は疲れると声が鼻に抜けるが。その声聞いただけで先生『きょうは体の調子悪いね』って、みんな知っとられたよ。千垣のほとんどの人は山田医院にかかっていて、先生は足が痛いとか呼吸の苦しい人に千垣駅の長い坂は来れんゆうて、どんなに吹雪いていても来てくれたが。」

親や兄弟よりも頼りに

「なんで2時間も、自分の孫みたいな先生にひどいことを。私たちに言わせるとこの人たちね、刃物で人殺したんでなしに、口で先生殺したが。私たち患者にしたら、こと命のことは親や兄弟より頼りにしとったがよ」。
 「奥さんは私らに迷惑かけて申し訳ないと言われたけど、私らからは迷惑かけたなんてもんじゃない、奥さんや小さい子どもさんがかわいそうで。署名して歩いたどこの家でも、私らを助けるために先生は自分の命をなくしたって言ってるが。先生が亡くなられた5時のサイレンが鳴ると胸が痛んでしもうて」。
 桑原さんの話からは、川腰医師がこの地域でいかに患者から慕われ、頼りにされていたかが浮き彫りになってくる。しかし、残された患者が厳しい冬を迎えなけばならないことも現実である。

千垣の畑が荒れた

 「あの後、ご飯食べられん人、心臓発作起こしたり、岩峅寺で倒れて救急車で運ばれた人、往診してもらってた人で肺炎で死なれた人もおられたと。往診してもらってた年寄はみんなあちこちに入院してる。千垣の畑は山田医院にかかりながら年寄がやっとったが、みんな具合が悪くなって今は畑が荒れとるよ」。
 この取材を通じて、僻地における第一線医師の役割が、本当に住民の命と暮らしの支えとなっていることを実感し、またこの嘆願書に託された患者たちの熱い思いは、無医地区を生んだ県当局の責任を鋭く追及する大きなエネルギーとなることを予感した。

(1993年11月15日付特集号より)

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