設立30周年記念 座談会 

保険医の生活と権利を守って30年
会員から頼りにされる協会めざして~準備会時代からの32年を振り返る~


  2009年7月7日(火)、設立30周年記念事業の一つとして会長・副会長・相談役が出席して、協会の30年の歩みを振り返る座談会を開催しました。
 話題はまず準備会時代、会員が600人まで飛躍した80年代、活動の幅を大きく広げた90年代、そして小泉医療改革に抗したこの10年間を一気に振り返りました。   

 

出席者

 田中 悌夫 相談役
 小熊 清史 相談役
 矢野 博明 会長
 井本 正樹 副会長
 太田 真治 副会長
 斉藤 隆義 副会長
 平井 隆  事務局長
 松村 茂  事務局次長 

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1.準備会時代を経て設立総会へ (1977年~79年)

2.会員112人から600人に大きく飛躍(1980年~89年)

3.広い視野で活動の幅を広げ会員1000人に(1990年~99年)

4.小泉医療改革に抗して~会員1200人に(2000年~09年) 

 

 

 1.準備会時代を経て設立総会へ (1977年~79年)

(井本)
 本日はご多忙の中、お集まりいただいてありがとうございます。富山県に保険医協会ができて今年で30年です。今日は準備会時代からご苦労された田中先生と小熊先生にもご参加いただいて、30年の歩みと協会のこれからについて話していきたいと思います。
 まず、協会設立までの準備会時代はどのようなものだったのでしょうか。

(田中)
 準備会の設立は1977年11月で、協会設立までの2年間の活動でしたが、実はその前から北越館という富山駅前の小さな旅館で、保団連個人会員の方々数人が時々集まって話し合いをしていた覚えがあります。
 私がなぜ準備会に参加したのかを思い出すと、高野昇治先生と林吾郎先生によるところが大きかった。高野先生は60年代に富山赤十字病院の労働組合の委員長、同じ頃林先生は全国の日赤病院の労組を統合した全日赤の委員長でした。お二人と親しかった私は、対社会的な運動というものに興味をもつようになりました。
 開業してからは当時の医師会活動に対して疑問や不満がありました。その活動は行政の下請けがほとんどのように感じました。また一部の医師会役員は、審査や個別指導を通じて一般会員ににらみを効かせる、学閥的運営といった状況にありました。一般開業医の経営や権利を守るという視点はなく、ましてや患者・国民と共に医療を守るという視点もなかったと思います。これでは保険医の経営や権利は守れないという気持ちがあり、保険医協会準備会に参加したという経緯があります。
 当時は協会にお金がありませんでした。事務局員の給料が出せず、事務局2人のうち1人分の給料と運営資金を役員に借りたりという状況でした。また役員も手弁当でした。日当はもちろんなかったし、旅費も出ていたかどうか…。保団連の会議出席のために夜行列車で東京に行きました。土曜の夜に富山を出て朝白々とする頃に東京に着き、近くの銭湯に入って会議に出ていました。そういう貧しい時代の中、それでも全国的な組織に参加できたという充実感と希望に溢れる時代でもありました。

歯科集談会

富山市・大手町の旧協会事務所の半分のスペースで毎月行われた歯科集談会。手前左が講師役の小熊先生。参加者には年配の先生方や女性歯科医師が目立っていた。 

(小熊)
 魚津に帰ってきて開業するとすぐ声をかけられました。準備会の世話人をみると深山正之先生、菅田晴山先生、岡田信次先生といずれも一世代前の県歯科医師会の会長や役員だった先生方でした。当時の歯科医師会執行部のあり方に何か思うところがあったのだと思います。いずれの方もすでに亡くなられましたが協会の立ち上げに協力され、30歳そこそこの何もわからない私らの防波堤として庇っていただきました。

(平井)
 当時の富山市大手町の事務所で、現在の「歯科の医局」にあたる「歯科集談会」というものを開催していました。高齢の先生が多数参加された中で若い小熊先生が講師をされていたことを覚えています。

(小熊)
 何をやればいいのか当初は見当がつきませんでしたが、皆さんの役に立つようなことというのでまず保険診療の勉強をしよう、と毎月やっていました。青本を隅から隅まで読んで頭に叩き込んでとやっていましたね。また、医科歯科一体の会だということで隣接医学をやろう、と海外雑誌を翻訳して隣接医学のシリーズを協会紙に連載していました。

(田中)
 医事法制勉強会の企画は確か小熊先生が発案でしたね。先見の明があったし、今にしてどれだけ役に立ったことか。

(小熊)
 現在協会顧問の佐伯康博弁護士と医事法制、医事紛争といったものをシリーズで勉強しました。当時は医療訴訟はそれほど問題になってなかったと思いますが、勉強したことが今の時代の予習になったのかなと思います。

(井本)
 今のお話だけでも設立に携わった諸先輩方のお名前が出てきましたが、医科ではどうですか。

(田中)
 協会設立前から参加されたのは鷲山松雄先生、渋谷尚之先生、赤江敏夫先生、横田力先生、黒部信也先生、洲崎雄一先生、堀三和夫先生などです。設立以降では高野昇治先生、村田巧先生、横井昭平先生、摂津浩二先生、市堰英之先生などがおられました。
 いずれの方々も私心なく、保険医の将来を切り開くために尽力されました。

2.会員112人から600人に大きく飛躍(1980年~89年)に続く