第4回女性部企画 特別講演

数学者として 母として 妻として

東京大学大学院数理科学研究科教授  石井 志保子

数学者として

日本で数学に進む女性が少ない理由

 OLYMPUS DIGITAL CAMERA日本の女性医師の割合は調査した214カ国中、最下位の14.3%(2004年)です。この少ない女性医師の割合と比べても、日本の女性数学者の割合は2.6%でずっと少ないのです。
 日本で数学に進む女性が少ない理由を考えてみると、女性は数学に向かないという思い込みが数学を苦手にしているのではないかと思います。学校では、「女の子は数学が苦手」と生徒に言う先生が多いです。そうすると、女子生徒は、数学を考えていてちょっと困難にぶつかった時に「私は女だからできないんだ」と思ってしまうのではないかと思います。  
 もう一つが大人の勉強不足です。数学科に進んだ先に、大人はどういったキャリアパス、進路があるのかを知らないのです。私が、高校時代に研究者になりたいと先生に言ったら、「女の幸せとはそんなものではないよ」と言われました。私は研究者になったわけですが、決して女の幸せを諦めた、かわいそうな人ではないつもりです。十分幸せだと思いますし、女の幸せは十分に得られると思っています。

ケーキ作りとは比べものにならない数学の喜び

 若い頃に父親から、「子どものためにケーキを作るのが女の幸せだ」と言われことがあります。父親の年代では、生活に最低限必要なものではないケーキを子どものために焼くというのは、その頃の憧れだったのだと思います。そこで私はケーキを作ってみました。それなりにおもしろかったですが、数学の新しいことが解った時の喜びとは比べものになりませんでした。医師の方もそうではありませんか。ケーキを作るのも楽しいけれども、患者さんの治療をしてよくなった時の笑顔をみる時がもっと喜びが大きいのではないでしょうか。

厳しい研究者の世界

 研究者の世界は大変厳しいです。同じ定理を他の人がすでに出版していたら、その定理をたとえ自分の力だけで証明したとしても、自分の業績にはなりません。私も半年くらいかけて証明した定理がありましたが、すでに別の人の論文の結果に含まれていたため、学術誌から却下されたことがありました。それを聞いた時、本当に落胆してどういう顔で家まで帰ってきたのか覚えていないくらいです。ですが、私はそれでも研究を続けます。それは考えることが大好きだからです。

考えることが大好き

 OLYMPUS DIGITAL CAMERA意外に思われるかもしれませんが、私は小学生の時、算数がとても苦手でした。当時は授業で毎回、計算問題の小テストがあり、早い子から提出させるという試験のやり方でした。ところが、私はいつも遅いのです。他の生徒たちがどんどん提出して○をもらっているのに、私はいつもビリになっていました。いつもそのような状態で、小テストが大嫌いでした。ですがある時、計算はほとんどないけれども考える問題が出ました。すると、なんと一番に提出できたのです。他の生徒たちはみんな頭を抱えていました。それから、「私って考えるの好きなんだ」ということに気がつきました。それ以後は、計算問題はビリ、考える問題は一番ということの繰り返しでした。
 高校に入って、特殊相対性理論の本を読み、大変感動しました。当時、私の価値観はカッコいいかカッコよくないか、その二つしかありません。そんな私にとって、これはもう最高にカッコいいものだったのです。こういうカッコいい公式を自分も将来発見してみたいと夢に見ました。「志保子の定理」。こういうものを発見できたらいいなと思っていました。

数学は美しい

 それから大学に入り、その後学位を取りました。この時すでに結婚していたので、家族が喜んでくれました。その後は、国際研究集会で発表したり、かなり権威のある学術誌に論文をパブリッシュできたりしました。これならばどこかいい大学の研究室に就職できるのではないかと思い、いろいろなところに応募書類を送りました。ですが、どこの大学に応募しても不採用でした。もういくつ応募したかわかりません。これ以上自分は何をしたらいいんだろうというふうに感じました。
 いわば就職浪人を4年間続けましたが、幸い、九州大学で私の業績を高く評価してくださる方がいて採用されました。夫と子どもを東京において九州大学に行くわけです。決めるまでにこれは非常に悩みました。だって、家族は東京にいるわけですから、九州に単身赴任するということです。それは無理だろうと思って、夫に相談しました。すると夫は「行ったらいいじゃないか」と私を応援してくれました。なんとか東京と九州の間を行ったり来たりしながら、助手として頑張りました。その後、九州大学から東京工業大学、それから東京大学に異動して、数学の研究を続けていく環境を得ることができました。数学は本当に美しいです。その美しい数学をここまで続けてくることができて本当に幸せだと思っています。いくつになっても数学の研究は続けたいと思います。

母として 妻として

子どものために頑張ろうという気持ちが

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 子どもを持ったことは私にとってとても大きな喜びでした。しかし、当時とても優秀な研究者が、子どもが生まれてから全く研究成果が上がらなくなったということを耳にすることがありました。私に子どもが生まれた時も、「これで石井も研究者としては終わりだな」と言う人がいました。
 確かに子育ては大変な労力と時間を使います。今まで研究に注いできた時間も労力も大部分が削られてしまいました。ほとんど勉強時間が取れず、泣きたい気持ちになったこともありました。でも時間がないからこそ、仕事の優先順位をはっきりさせることができ、なにより、子どものために頑張ろうという気持ちが私を引っ張ってくれたのだと思います。振り返ってみると、子どもができてからの方がよい仕事ができているのではないかと思います。

研究者としての社会的責任を果たすために

 ご縁をいただき、夫が富山県知事を務めています。県民の方の中には、夫が知事になったら妻は仕事を辞めるべきだと思っている方がいるようです。ですが、本当にそうでしょうか。みなさんよくご存じだと思いますが、一人前の研究者を育てるにはどれほどのお金と労力がかかるか。これは一人前の医師についても同じです。たくさんの税金をつぎこんで時間をかけて社会が育ててくれたのです。だから、夫がある地位に就いたからといって、勝手に辞めてしまうのは社会的責任を果たしていないことになります。
 また、夫が知事になったことを理由に仕事を辞めてしまうことはとても悪いロールモデルになってしまいます。研究者を目指す若い女性、あるいは仕事を続けたい若い女性にとって、そのような行動を見たらどのように思うでしょうか。女性がどんなに頑張っても、所詮夫次第でその地位を捨てなければならないと思うのではないでしょうか。もしこういった悪いロールモデルになってしまったら、私はすべての若い女性に顔向けができません。夫も私に決してそのようなことがないようにと常々言っています。このような夫をもち、かつ、私が仕事を持つことを温かく応援してくださる方もいるので、そのお気持ちに応えられるよう頑張っていきたいと思います。