大震災を忘れない③

③ 岩手・大槌町から

新規開業直前、津波に…        岩手県大槌町    大野 忠広

人口一万人あたり医師数 5.9人しかいない

 岩手県は医療過疎地といわれている。それでも内陸部は新幹線や高速道路で都市が繋がり、産業も多く、中核病院や診療所も保たれている。人口1万人当たりの医師数は全国平均21.3人、岩手県全体で19.5人である。それにたいし沿岸に位置する大槌町は5.9人しかいない。
 沿岸部に赴任した当初は開業を考えてはいなかったが、医局を離れて勤務するうちに、数多くの医療機関があり多くの医師の中の1人として仕事をするより、自分を必要とする人が多いこの地域で開業しようと思い、平成21年の春から準備を進めてきた。

新築のクリニックで激しい揺れを感じる

平成23年2月に引き渡しを受けた新築のクリニックには、その日、医療機器の搬入業者や卸業者、雇ったばかりの従業員、税理士らがいた。激しい揺れの後「過去にここまで津波が来たことはないが巨大津波警報がでているから、とりあえず、逃げるか。」と、軽い気持ちで避難することを決めた。  車で5分ほどの自宅は海抜16mで、クリニックよりは高いところにあり、そこに車を停めて自宅前の吉里吉里駅に上がったところで津波が押し寄せた。水が引くと自宅の隣にはよその家の2階部分だけが流れ着き、山のような瓦礫が道路を塞いでいた。

消防団に連れられ 特養で被災医療にあたる

 「さて、これからどうしよう?」。近くにいた消防団の1人が私の顔を見て「先生はらふたぁ(特別養護老人ホームらふたぁヒルズ)に行ってくれ、そこに怪我人を運ぶから」といわれ、拉致されるように消防団の車に乗せられた。高台にある施設に到着したときには、周辺住民やすぐそばの中学校の職員と生徒など約200人が避難しており、さらに助け出された怪我人が数10名運ばれ、定床60名のユニット型施設に所狭しと人があふれていた。外耳が裂けてちぎれそうになっている若い女性、見るからに肋骨骨折で血気胸になっている男性、意識がなくけいれんを繰り返す高齢女性…。

最初の夜に4人亡くなり 無力感を感じた

 介護老健であれば何らかの医療器具や医薬品が常備されているが、特養には医薬品はほとんどない。わずかばかりのガーゼで押さえ、テープで固定し、毛布を掛け体をさすってあげることしかできなかった。最初の夜に4人が亡くなった。これほどの無力感を感じたことは初めてだった。3月13日から重傷者やインスリン使用者、透析患者らのヘリ搬送が行われた。少しずつ医薬品も届くようになり、鎮痛剤や降圧剤などを数日分ずつ処方したり、他の避難所に出向いて診療したり、私自身も被災者として施設に避難しながらの災害医療だった。

残ったのは基礎だけ 「また1からやり直しか」

平成23年2月に引き渡しを受けたばかりだった。(3月4日撮影)

津波後1週間が過ぎてようやくクリニックを見に行った。クリニックは基礎とCTのガントリだけ残してすっかり流されていた。莫大な自然のエネルギーに圧倒され、言葉を失った。我を忘れていた数分間ののち、出てきた思いは、「また1からやり直しか。」というものだった。前に進む以外に選択肢がないことを心のどこかで受け入れていたのかもしれない。  
 らふたぁヒルズ側からの申し出もあって施設の裏庭に面したフロアを借り受け、当初の開業予定であった4月11日に仮設診療所をオープンした。そこで3ヶ月診療を行い、岩手県の仮設診療所支援を受けて7月に吉里吉里の集落の中にプレハブを建て、外来診療を行っている。

壊れたままの防潮堤、仮設の県立大槌病院、制限される建築許可、3重ローン、それでも前を向くしかない

 早期にクリニックを新築したいが、防潮堤が壊れたままでは危険があり、非浸水域も含めて建築は制限され土地利用計画によって様々に規制されており、建築許可を得るのは簡単ではない。仮設で診療している県立大槌病院の移転先も決まらず、他の診療所との関連もある。更に、流されたクリニックの借り入れと自宅の住宅ローンに加えて新たな借り入れをすると3重ローンとなってこの身にのしかかる。しかしそれでも前に進まなければならない。  
 在りしころを想っても意味はない、立ち止まっても何も生まれない、前を向かなければ道はない、進み続けなければ道は開けない。医師1人にできることはわずかであるが、それでも自分にできることを1つずつやっていこうと思っている。

(2012年4月5日 とやま保険医新聞)

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