⑤福島・南相馬から
自分の目で見て生の声を聞き、身体で感じることが真実だ
理事 兒玉 幸久
それは何気なく送ったメールから始まりました。
昨年ボランティアに参加したいわき市は、G・W中のボランティアの募集をしていないことがわかり、他の市町村を検索したところ、南相馬市のホームページに医療ボランティアの項目を見つけました。
調べてみると、南相馬はいわき市よりもかなり厳しい放射能汚染の実態がわかってきました。それでも何かできることがあればと思い「富山市の歯科開業医です。何かお手伝いできることありますか?」とメールを送ってみました。するとその日の夕方、メールの受信欄に南相馬市立総合病院副院長・及川友好とあるのを見つけました。
富山県歯の協力で70人分の基本セットを確保
その後のメールのやり取りで、歯科の道具は一切なく、最大で70人ほど検診することになりそうなことがわかりました。到底私個人の持っている数では間に合いません。ふと思いつき県歯に電話。事情を説明し70人分の基本セットの手配をお願いしたところ、快く協力していただけることになりました。義歯修理にも対応できる機材をそろえ、車に積み込み5月3日朝1時半出発しました。
第一原発からわずか23キロ
南相馬市は福島第一原発より北にあり、避難区域と緊急時避難準備区域を合わせると市の半分以上が該当し、人口は7万1000人から4万2000人に減少。街を見回しても歩く人も少なく、子供の姿はほとんど見かけません。 南相馬市立総合病院は市の中心部にあり、7階建て230床の大きな病院です。1階受付ホールに入って目に付いたのは『ここは第一原発から23キロです』の張り紙。ホワイトボードには、毎日の玄関前と1階ホール内の放射線量の測定値が書いてあります。私は、京都から来た6人の医療チームとともに受け入れられ、まずはこの1年間の南相馬市と病院の置かれた状況をスライドを見ながら及川先生から説明を受けました。
ぎりぎりの人数でがんばる病院職員
救急患者のほとんどを受け入れる施設でありながら、震災直後は全職員の3分の2が避難し、外部委託職員が全員退避。減ってしまった職員の埋め合わせは現在でも進まず、ぎりぎりの人数で頑張っている状態であること。ここだけではなく市内の病院機能が麻痺し、一時入院患者をほぼすべて県外避難させることになったことや、レントゲン撮影に影響が出てくるほどの放射線の施設内への侵入が確認されたため、玄関や窓をすべて閉め切っていたこと。民間業者からマスコミにいたるまで原発から50キロ以内に入ることを拒否したために食料までも入ってこなくなり、食べること・飲み物にも困ったこと。自衛隊が来るようになって何とか物資の調達ができるようになったことなどなど。その内容はあまりにも厳しく、私たちが本当のことは何も知らされていないことを痛感させられました。
入院患者さんを検診して回った
さて私に与えられた仕事は歯科検診です。脳神経外科の患者さんが多く、対象者は車椅子か寝たきりがほとんどです。待っていてもしょうがないので医療用ワゴンをひとつ借り、3階から5階までを毎日ワンフロアずつ見て回りました。及川先生のご配慮で、各フロアではそこのチーフの方が忙しい中私に付きっきりでひとりひとりの患者の状態を説明し補助してくださり、こちらが診査した内容や指示はメモしていただきました。肺炎の発生に気をつけているとのことで患者さんの口腔内は意外なほどきれいで、ここにもスタッフさんたちの努力が見て取れました。合間には看護師さんの検診や歯科相談も行いました。
所々で目に入る手向けられた花と線香
病院5階から東を向けば、津波により被災したところが見えます。1キロも離れていないでしょう。震災以前は防風・防砂の林で海岸線が見えなかったようですが、今では数本の木が残っているだけ。海岸線も瓦礫の山もはっきりと見えます。この瓦礫。県内を移動させようとしても反対意見が起こり、本当に行き場がなくなっています。実際に現場に行ってみましたが、道路の両側は無残に残った家の土台だけが続きます。所々で手向けられた花や線香が目に入ると、心が締め付けられる思いがこみあげ、海岸近くに詰まれた瓦礫の山を見上げていると、自然の力に脆くも崩れ去った文明の無力さを感じました。 福島第一原発が撒き散らした放射能は、マスコミの報道では国が除染を徐々に進めているとなっていますが、南相馬市では見かけたことがなく、少なくとも病院周りでは行われていないそうです。
南相馬の人々に覚悟のようなものを感じた
南相馬市立総合病院では、G・W中にもかかわらず、私がいた3日間とも及川先生は出勤され、ナースセンターでゆっくりしているスタッフもほとんど見かけていません。一人ひとりがとても優しく、しかし緊張感のある空間でした。看護師さんや患者さん、病院スタッフや宿泊していたホテルの人たちと話をしましたが、南相馬に住んでいる人たちには、覚悟のようなものを感じます。また自分たちの街に関心を示してくれる人々にはできる限りの配慮を持って接し、感謝の意を示してくれます。震災から1年が過ぎた南相馬は、あえぎながらも自分たちの力で一歩ずつ前に進もうとする人たちのエネルギーを感じられる町でした。
我々は様々な方法で大量の情報を目にし耳にします。被災地に目を向け、現状を把握しているような気になっていましたが、やはり自分の目で見て生の声を聞き身体で感じることが真実であるとあらためて確信しました。私にできることは本当にわずかですが、今後も福島を応援して行こうと考えています。
(2012年6月15日 とやま保険医新聞)
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