大震災を忘れない⑦

⑦岩手・陸前高田から

足湯で生まれた絆ふたたび 私にできることを続けたい

富山県保険医協会 事務局員  黒木 志保

初めて村上さんに足湯をしたときの1枚。避難所生活で村上さんの足は靴下の跡がはっきりと出るくらいむくんでおり、手も腫れ上がっていた(2011.5.13)

 「他のボランティアは汗を流してガレキを撤去しているのに、あなたたちはしないの?」
 震災2カ月後に被災地を訪れた私に投げかけられた言葉である。
 私は、大学1年生のときから能登半島地震で被災された方への足湯活動を続けていた。足湯とは、たらいにはったお湯に足をつけてもらい、手をマッサージしながら普段言えないことをつぶやいてもらう傾聴活動だ。東日本大震災が起き、専門的な知識がない私にできることは「足湯」しかないと思い、震災から2カ月後の5月に岩手県陸前高田市の広田小学校(当時の避難所)を訪れた。全国から多くのボランティアが医療支援やガレキ撤去で訪れている中、私たちの「足湯」はなかなか受け入れてもらえなかった。しかし、月に1回継続的に訪れることによって、お風呂に入れない方、避難所生活でストレスがたまっている方々の間に次第に足湯が浸透してきた。

被災者同士でも相談しづらい状況の中で

 避難所では、様々な思いが入り混じっている。被害にあったのは同じだが、その状況はそれぞれで違う。被害が比較的小さい人は自分より大きい人には相談しづらい。今後に不安があるのは同じなのに、避難所の隣同士でも相談や話ができない状況である。加えて私が避難所を訪れた5、6月は、仮設住宅の抽選の時期であった。同じ避難所で仮設住宅に当たった人と、そうでない人が一緒に生活しなくてはいけない。そして、行き先が決まった人から順番に避難所を去っていく。そのような状況の中で、足湯をすると、その生活のつらさが言葉として一人ひとりから伝わってきた。同じ避難所で生活していない、専門家でもない、私たちよそ者だからこそ話せること、できることがあるとそのとき感じた。

村上さんとの出会い

 「どんな場所でも、子どもから高齢者、すべての人に好かれる人になりなさい。」避難所最年長の村上さん(86歳)の言葉だ。私が社会福祉を学んでいることを話していないのに、すべてが分かるかのように言った村上さん。津波で家を失っているにもかかわらず、私にその言葉をくれた。それが私と村上さんとの出会いである。今も毎日メールの交換をしている。私が、学校の先生に怒られてしまったとメールすると村上さんは、「怒られるうちが花。その花をきれいに咲かせるかどうかはあなた次第。」と、いつも素敵な言葉を私にくれた。
 私は震災後、計5回広田町に足を運んだ。金沢大学では現在も月に1回、陸前高田で足湯を続けている。しかし私は卒業し、この春社会人となった。立場も環境も変わってしまい、今までのように仲間と一緒に行けない自分に、はがゆさを覚えるようになった。それでも村上さんは、その私を受け止め「笑顔で過ごしなさい。あなたなら大丈夫。」と話してくれる。
 そして、私はこの夏、1人で陸前高田に行こうと決めた。

「あれから海には近付いていない」  震災から月日だけが過ぎている

マルで囲った家が村上さんの家。いままさに、津波が押し寄せてきている

 JRとレンタカーを使い、久しぶりに訪れた広田湾のきれいな海を見て、思わず涙がでそうになった。津波がきて、多くの命を失った海とは思えない穏やかなきれいな海だった。そして、村上さんや広田の仮設住宅の方々と半年ぶりの再会。思わず抱き合った。「広田の海、とてもきれいですね。」と努めて明るく声をかけると、私の思いとは逆に「津波がきてから、海には近付いていない。」との言葉と苦い表情が返ってきた。それを聞いたとき心の傷の深さを感じた。それから、村上さんが、家があった場所、どこに逃げたか、どのような様子だったか、実際にその場所を歩きながら説明してくださった。村上さんの家があった場所には、私の身長と同じくらいの高さの草が生い茂っており、草のすきまからは家の基礎の残骸が覗いていた。想像を超えることが、たしかにこの場であったのだと実感させられた。震災から月日だけが過ぎていると思った。

どうなるかわからない日々が続いている

 広田地区では村上さんの家の周りだけで、20人の方が遺体で見つかった。あのときに、もっとはやく声をかけていれば、こっちから逃げていたら…そういった後悔の想いが村上さんの言葉から感じとれた。今後、高台へ集団移転する予定と聞くが、現実には、いつごろ、どのように移転するか、全くわからない日々が続いている。

私にとって村上さんたちは「被災者」ではなく、一人ひとりかけがえのない個人

この夏、仮設住宅の村上さん宅にて。部屋にはボランティアの学生の写真が飾られていた。この仮設住宅でパソコンを持っているのは村上さんのみ。それを使って学生受入時の連絡調整をされている。私が手にしているのは奥様が内職で作られた猫のマスコット。(2012.8.4)

 行政の人が、仮設住宅を訪れたことはないという。私にとって、村上さんたちは「被災者」ではない。一人ひとりが、かけがえのない個人である。行政には、仮設に住まわれている方々一人ひとりの声に耳を傾けることが必要なのではないだろうか。個人に目を向け、その人自身の生活を見たときに、いまの被災地に必要なことが見えてくると思う。
 村上さんの夢は私と120歳になるまでメールをすることだと言う。そのとき、私は57歳だ。正直言って想像もつかない。どんな場所でもすべての人に好かれるような人になることができているだろうか。
 これからも私にできることを続けていきたい。

(2012.9.5 とやま保険医新聞)

 

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